戦死状況
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1945年3月26日未明、日本軍硫黄島守備隊は最後の組織的反攻を行い、栗林忠道陸軍中将、市丸海軍少将以下、数百名の残存部隊がアメリカ軍陣地へ総攻撃をかけた。 市丸少将は遺書としてアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた『ルーズベルトニ与フル書』をしたため、これをハワイ生まれの日系二世三上弘文兵曹に英訳させ日本語、英語各一通を作りアメリカ軍が将校の遺体を検査することを見越してこれを村上治重大尉に渡した。村上大尉は最後の突撃の際にこれを懐中に抱いて出撃し戦死。『ルーズベルトニ与フル書』は目論見どおりアメリカ軍の手に渡り、7月11日、アメリカで新聞に掲載された。それは日米戦争の責任の一端をアメリカにあるとし、ファシズムの打倒を掲げる連合国の大義名分の矛盾を突くものであった。「卿等ノ善戦ニヨリ、克(よ)ク「ヒットラー」総統ヲ仆(たお)スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。」(ルーズベルトは4月12日に死去したため、『ルーズベルトニ与フル書』は本人は目にしていないとみられる。) なお、公式な戦死日は訣別の電報が打電された3月17日とされている。市丸の最期を確認した者はおらず、遺体も発見されていない。 市丸が所有していた刀を米兵が拾い、ニュージャージー州の骨董店に並べられていたが、市丸の遺品であることが判明しNHKのテレビ番組を通じ遺族の元へ戻っている。
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