戦歴と改良とは? わかりやすく解説

戦歴と改良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 02:09 UTC 版)

MC.202 (航空機)」の記事における「戦歴と改良」の解説

最初期生産バッチであるマッキ社製のセリエIIセリエIII1941年7月から引渡し始まった最初に配備されたのは、第一次大戦エースF.バラッカの名を冠する第4ストルモ(航空団)の第9グルッポ(航空群)であった当時部隊北アフリカですでに参戦していたが、装備する旧式機ではイギリス空軍対抗できず、一線ドイツ空軍に任せシュツーカ輸送機護衛拠点防衛などの二次的な任務甘んじていた。第9グルッポは夏の間、本国転換訓練初期不良洗い出し行った後、9月末にシチリア戦線実戦投入された。MC.202による初撃墜9月30日相手ハリケーンであった。 ただ、この戦闘機出現対す連合国の対応も早かったアフリカ方面には熱帯仕様スピットファイア新型P-47出現し、更に戦局次第劣勢になるアフリカからイタリア本土へB-17やB-24といった大型爆撃機飛来してくるようになったフォルゴーレ武装前身サエッタと同じ12.7mm機関銃2挺に加え主翼に7.7mmが2挺が増えた程度で、しかもその主翼の7.7mmも生産後半になるまで未装備であり、火力不足が指摘された。後に翼下装着する20mm機関砲パック開発されテストされたものの、飛行性能低下嫌われて、実戦には使用されなかった。 それでもフォルゴーレ戦闘機としては非常に優れた性能発揮し連合国戦闘機互角戦い見せた。その喪失機の大部分地上撃破されたものである生産開始から約1年1942年春から生産されセリエVII以降は、風防前面防弾ガラス装着するようになったまた、後期生産期では、胴体にあったベンチュリー管右側面に移動、さらにその後翼下増槽あるいは爆弾懸架できるようにした。1機のフォルゴーレが、胴体下のラジエータ機首下に移動オイルクーラーとまとめる改修を受け、MC.202Dの形式名を受けたが、さほどの性能向上は認められず、生産には移されなかった。後にはより高出力DB605ライセンス生産したRA1050RC58を搭載したMC.205ベルトロ出現し、カストルディの開発した一連の戦闘機決定版となったフォルゴーレ最終的に1301機(一説には1500機あまり)が生産され文字通りイタリア空軍主力戦闘機となったイタリア降伏時には100機あまりが残存し、これらはファシスト側のサロ政権下の共和国空軍及びドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)、また連合側のイタリア共同交戦空軍イタリア語版)で使用された。大戦終結後もしばらくイタリア国内主として練習機として使用された他、エジプトにも輸出された。

※この「戦歴と改良」の解説は、「MC.202 (航空機)」の解説の一部です。
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