ミッドウェイ海戦・山口多聞と阿部俊雄とは? わかりやすく解説

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ミッドウェイ海戦・山口多聞と阿部俊雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 05:59 UTC 版)

阿部俊雄」の記事における「ミッドウェイ海戦・山口多聞と阿部俊雄」の解説

1942年6月5日南雲機動部隊ミッドウェイ海戦にて、主力空母4隻を一日で失う大敗喫した。この戦闘阿部は、南雲機動部隊護衛する第十駆逐隊(秋雲夕雲巻雲風雲)の司令であった唯一最後に残った空母飛龍」の山口多聞少将は、機動部隊による猛反撃アメリカ空母ヨークタウン」を航行不能(その後沈没)としたが、「飛龍」は敵急降下爆撃機からの爆弾をくらい大火災起こして航行不能となり傾き始めた阿部乗艦風雲」を「飛龍」の左舷横付けして献身的に放水消火試みるが、火の勢いはおさまらず、ついには飛龍山口少将総員退艦を命じ自身は「飛龍」の最後見届け、艦と運命ともにする旨の訓示行なった。約800 名の乗員が、駆逐艦風雲」、「巻雲」に移乗完了すると、阿部は「飛龍」に乗り込み山口少将加来艦長誠心誠意、退艦の説得試みた。 「2艦喪う責の重さも、一将喪う歎きかえられません。七生報国とは七度死線生き延びること、と山本長官も訓えられているではありませんか」「司令官どうか生きてください海軍と我々にはあなたこそが、かけがいのない先輩です」と血を吐くような気迫言葉投げかけて翻意促すも、山口少将返事は、「私は責を全うする阿部大佐、この戦争2、3年は激戦の形で続くと思う。その間、君も私と同じ立場になるかもしれないその時、一艦、一戦隊の沈没や敗辱の責は、一将にとって死にさるものであることが分かるだろう。敗勢が己の不徳によることなく、たとえ渾身の善戦をなして悔いると無くてもだ。古来海将にとって艦とはそのようなものではないかお互い身をゆだねるのはこの海だ。私は「飛龍とともにお先に征くが、君たちは本海戦無念晴らしてくれ」と阿部に言うと、さらに「君が駆逐艦退去後、魚雷をこの「飛龍」へ射ち込んで処分してくれ、私がこの世求め最後無心介錯である」と阿部最後の命令下した阿部駆逐艦へ戻ると、痛恨の思い決別魚雷を射ちこみ、山口少将加来艦長と「飛龍」を海に葬った阿部はこの2年5ヶ月後、空母信濃艦長として沈没憂き目会い、艦と運命ともにすることとなったが、その時、心に去来したのは山口少将最後の姿だったかもしれない

※この「ミッドウェイ海戦・山口多聞と阿部俊雄」の解説は、「阿部俊雄」の解説の一部です。
「ミッドウェイ海戦・山口多聞と阿部俊雄」を含む「阿部俊雄」の記事については、「阿部俊雄」の概要を参照ください。

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