ソロモン戦線とは? わかりやすく解説

ソロモン戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 14:00 UTC 版)

フレデリック・C・シャーマン」の記事における「ソロモン戦線」の解説

合衆国艦隊司令長官兼海作戦部アーネスト・キング大将アナポリス1901年組)は、1930年から1932年まで「レキシントン」の艦長務めていたこともあってか、「レキシントン」には深い愛着持っていた。また、艦船沈めた者には罰をもって対処する方針を採っていた。そのため、フレッチャー結果的に日本軍の侵攻断念させたにもかかわらず、この時は中将への昇進見送られた。艦長だったシャーマンに対してどのように対処したのかは定かではないが、少将進級したシャーマンは、1942年末までキングの下で副参謀長として仕える。 その後シャーマンは再び前線出て1943年からは南太平洋部隊ウィリアム・ハルゼー大将アナポリス1904年組))でデウィット・C・ラムゼー英語版少将アナポリス1912年組)とともに空母含んだ任務部隊指揮執るこの頃南太平洋部隊には「病み上がり」の「サラトガ」と、1942年10月26日南太平洋海戦損傷した「エンタープライズ」 (USS Enterprise, CV-6) の2隻の空母がいたが、この時点での空母絶対数少なく、またラバウルからの日本軍飛行機警戒するあまり、ハルゼー空母ガダルカナル島より遠方派遣することをせず輸送船団護衛専念させていた。「エンタープライズ」オーバーホール戦線から離れる至りアメリカ海軍イギリス海軍から空母ヴィクトリアス」 (HMS Victorious, R38) を借用してサラトガとともにラムゼーの下で約1カ月間空作戦継続させた。5月15日合衆国艦隊は各任務部隊規模艦隊規模拡張して番号割り振った以後ハルゼー南太平洋部隊第3艦隊となり、同様に中部太平洋部隊第5艦隊となったシャーマンの「サラトガ」を基幹とする任務部隊も、以降は「第38任務部隊」と呼称されることとなったエセックス級航空母艦インディペンデンス級航空母艦の諸艦が順次竣工し訓練経て前線出てくるようになると、ハルゼー新鋭空母派遣太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将アナポリス1905年組)に申し出るが、ニミッツ新鋭艦に経験つけさせるため、中部太平洋にとどめ置いて南太平洋方面にはなかなか向かわせなかった。ブーゲンビル島の戦い目前にしていたハルゼー真珠湾飛び艦船増勢改め要請し戦いにはわずかに間に合わないものの艦船派遣約束されたこのうちの1隻、空母プリンストン」 (USS Princeton, CVL-23) が第38任務部隊入って作戦することとなったが、ハルゼー艦船派遣に際してニミッツから、11月20日までに「サラトガ」を含む空母返却、あるいは差し出すよう要求されていた。第38任務部隊は、ハルゼーがおそらく知らないところで第5艦隊編入されていたが、これは当時ギルバート諸島攻略ガルヴァニック作戦控えており、主だった戦闘艦艇第5艦隊割り振られていた事情もあった。11月1日2日シャーマン第38任務部隊艦載機は、エンプレス・オーガスタ湾上陸作戦支援のためブカ島およびブーゲンビル島日本軍飛行場空襲したが、この方面でアメリカ海軍空母作戦するのは、シャーマン「レキシントン」艦長時代接近したとき以来だった。第38任務部隊とともに主要な水上部隊だった第39任務部隊アーロン・S・メリル少将)は、エンプレス・オーガスタ湾の湾外で大森仙太郎少将率い日本艦隊交戦してこれを追い払ったが(ブーゲンビル島沖海戦)、第39任務部隊上陸作戦掩護から休みなく行動続けており、海戦後11月3日にはツラギ島帰投して整備補給開始したシャーマン第38任務部隊また、補給のためレンネル島近海まで下がっていた。 事態11月4日大きく動く。この日、偵察の B-24 が栗田健男中将率い日本艦隊発見。この報告受けたハルゼーは「南太平洋軍司令官としての全任期中直面したもっともきびしい緊急事態」に即座に対処しなければならなかった。参謀検討した結果、「第38任務部隊に、ラバウル給油中の日本艦隊空襲させる」という案が浮上してすぐさま作戦計画作り上げる。しかし、作戦計画提出されハルゼーには迷い生じていた。アメリカ空母任務部隊これまでラバウルのような強固に要塞化した陣地」への攻撃したことがなかった。また、作戦計画自体1942年11月第三次ソロモン海戦思い起こさせ、海戦時にダニエル・J・キャラハンノーマン・スコット少将与えた命令匹敵するものと考えていた。シャーマン反撃を受け大きな損害蒙る懸念すらあったが、最終的にエンプレス・オーガスタ湾の上部隊脅威から守るために、作戦計画了承した11月5日行われた空襲大い成功し栗田艦隊まとめてさっさとトラック諸島逃げ帰った戦果に気をよくしたハルゼー第38任務部隊加えニミッツ新たに派遣したアルフレッド・E・モントゴメリー少将アナポリス1912年組)麾下の第50.3任務群に再度ラバウル空襲命じる。しかし、11月11日行われた空襲戦果挙げたのはモントゴメリーの第50.3任務群の方で、シャーマン第38任務部隊ラバウル東方海上接近したものの、悪天候妨げられ攻撃隊を発進させることができなかった。また、前回とは違って反撃受けたため(ろ号作戦#11月11日第三次ブーゲンビル島沖航空戦))、午後に予定されていた攻撃取り止め北上しギルバート方面にいる第5艦隊合流していった。

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ソロモン戦線

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ロバート・M・ハンソン」の記事における「ソロモン戦線」の解説

1943年6月ロバートソロモン戦線到着し、パピィ・ボイントン率いる「ブラック・シープ」VMF-214に、経緯はっきりしない配属されるこのころ日米両軍ニュージョージア島の戦い間近に迫ろうとしていた時期であった。VMF-214時代ロバート8月6日あるいは16日ベララベラ島上空で1機、8月26日ブイン上空で1機の計2機確実撃墜マークした9月には中尉昇進するが、10月入って理由不明ながらVMF-215に転属となった。 VMF-215に移ってからのロバートは、11月1日からのブーゲンビル島の戦い上空掩護担当するタロキナ岬上陸に際してはVMF-215は零戦隊に護衛された九七式艦攻8機と交戦しロバートそのうち零戦2機と九七式艦攻1機を撃墜する活躍見せたが、別の七式艦攻反撃を喰らって撃墜される。ロバート助かって海上漂流するが、やがて駆逐艦「シゴーニー(英語版)」 (USS Sigourney, DD-643) に救助され九死に一生を得る。ところが、VMF-215ではロバート行方不明扱いにしており、ハンソン家にもそのように通報してあったが、本人帰還したことで通報取り消される一幕があった。この時点でのロバートは、5機撃墜エース末席にいるだけの存在であった。VMF-215は休養のため一時後方に下がることとなり、ロバート1943年戦い終わった1944年、VMF-215は戦列に戻る。1944年入って早々1月3日ロバート最初に配属されたVMF-214のボイントンが日本軍撃墜され捕虜となってソロモン戦線から消えることとなった。そして、ボイントンに代わってエースとして台頭したのがロバートであったロバート1月14日から1月30日までの間に6度出撃で確実撃墜20機、不確実撃墜2機をマークしハイペース撃墜スコア挙げたことからVMF-215の同僚から薄気味悪がられるほどの存在となったまた、ボイントンとは違ってマスコミ注目されることもなかったが、むしろ注目されるには活躍期間があまりにも短かった1944年2月3日ラバウル攻撃加わったロバートニューアイルランド島セント・ジョージ岬攻撃中に反撃を受け、撃墜され海中突入し戦死したロバートが、翌2月4日24歳誕生日迎えることは永遠になかった。戦死後ロバート大尉進級し名誉勲章海軍十字章追贈され名誉勲章8月入ってジーン手渡された。 なお、ロバート編隊戦闘嫌っていたのか常に単独戦闘行い部隊仲間ロバート撃墜する場面見届けた者は少なかった

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