ソロモン宮殿
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「アイザック・ニュートンのオカルト研究」の記事における「ソロモン宮殿」の解説
ニュートンは、ソロモン宮殿(ソロモン王が築いた、エルサレム神殿の原型)に関して広範な研究と著述を行っており、彼の洞察は『古代王国年代記』(The Chronology of Ancient Kingdoms) にまとめられている。ニュートンの一次ソースは旧約聖書の列王記で、みずからヘブライ語からの翻訳を行っている。 旧約聖書に加え、ニュートンは様々な古今の資料を参照した。古代の資料には神聖な知識がこめられており、また宮殿の各所に見られる均衡それ自体も神聖であると考えていた。このためニュートンはギリシャ・ヘレニズム建築に加え、ウィトルウィウスなど古代ローマの資料をも調査し、神秘的な知識を求めた。このような考え方は “prisca sapientia”(神聖な知識)と呼ばれ、ニュートンの時代の学者には一般的な考え方であった。 ニュートンが使用した近い時代の資料としては、フアン・バウティスタ・ビリャルパンド (Juan Bautista Villalpando) が数十年前ほどに発表した『エゼキエル書研究』(Ezechielem Explanationes) がある。この中でビリャルパンドはエゼキエル書の視点について書いており、ソロモン宮殿の解釈と精密な再現も含まれている。当時ビリャルパンドの研究はヨーロッパ中の興味の的となり、後世の建築家や学者に大きなインパクトを与えた。 聖書の研究家としては、ニュートンはまず黄金比・円錐曲線・正投影図などの調和に基づくソロモン宮殿の神聖幾何学に興味を示し、またソロモン宮殿の特性と均整にはさらなる隠された意味があると考えた。ニュートンは、聖書に書かれた宮殿の寸法は円周率と半球の体積 V = ( 2 / 3 ) π r 3 {\displaystyle V=(2/3)\pi r^{3}} に関係した数学の問題であり、さらに大局的に見れば地球の大きさや、地球での人間の配置を示すものであるとした[要出典]。 ニュートンは、ソロモン宮殿がソロモン王の特別な眼と聖なる助けによってデザインされたと信じ、宮殿をかたちづくる幾何学は単に数学上の青写真というだけでなく、時間軸をたどるヘブライの歴史の年代記を表しているとした。ニュートンが宮殿について書いた章を、本に書かれた歴史の流れに直接関係しないにもかかわらず『古代王国年代記』に加えたのはこういった理由からである。 ニュートンは、古代の哲学者・学者・聖書の人物の著書に聖なる知識が込められているのと同様に、建築の中にもそれが込められていると考えた。これらの人物は、複雑な暗号と象徴的・数学的な言葉を隠しており、解読すれば自然の運行に関する秘められた知識を解き明かすことができると信じたのである。 1675年、ニュートンは『マナ――錬金術的性質についての論考』(Manna—a disquisition of the nature of alchemy) の複製に注釈をつけた。この匿名の論文は学者仲間のエゼキエル・フォクスクラフト (Ezekiel Foxcroft) から譲られたものである。ニュートンは、自身のソロモン宮殿研究の理論を反映した注釈をつけている。 This philosophy, both speculative and active, is not only to be found in the volume of nature, but also in the sacred scriptures, as in Genesis, Job, Psalms, Isaiah and others. In the knowledge of this philosophy, God made Solomon the greatest philosopher in the world.この理論的かつ実際的な哲学は、自然の書物の中だけではなく、創世記・ヨブ記・詩篇・イザヤ書などの聖なる書物にも見受けられる。この哲学の知の中で、神はソロモンをこの世で最も偉大な哲学者として作り給うた。 ニュートンの時代、ヨーロッパではソロモン宮殿への関心が高まっていた。ビリャルパンドの発表の成果もあったが、精密な版画や模型が流行し、様々なギャラリーで公に目にすることができたためでもあった。1628年、ユダ・レオン・テンプロ (Judah Leon Templo) はエルサレム神殿とその周辺の模型を作り、好評を博した。その後1692年ごろ、ゲルハルト・スコット (Gerhard Schott) はクリスティアン・ハイッリッヒ・ポステル (Christian Heinrich Postel) の作曲したオペラのハンブルクでの上演のために細密模型を作った。この、高さ13フィート(約3.96メートル)幅80フィート(約24.38メートル)の巨大模型は1725年に売却され、1723年にはすでにロンドンで呼び物として展示されていた。さらにその後1729年から1730年までロイヤル・エクスチェンジ(ロンドンの王立取引所)に展示され、半クラウンで観覧可能であった。ニュートンの宮殿に関するもっとも包括的な研究成果は『古代王国年代記』にみられるが、これは彼の死後1728年に公表されたもので、宮殿への関心をさらに高めることとなった。
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