連合艦隊の最期とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 連合艦隊の最期の意味・解説 

連合艦隊の最期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:15 UTC 版)

矢矧 (軽巡洋艦)」の記事における「連合艦隊の最期」の解説

1945年昭和20年3月27日 菊水作戦直前第二水雷戦隊編制以下のとおりである。 旗艦矢矧第7駆逐隊:響、潮(横須賀待機) 第17駆逐隊磯風浜風雪風21駆逐隊朝霜初霜41駆逐隊冬月涼月 1945年昭和20年4月1日アメリカ軍沖縄上陸開始した4月6日天一号作戦参加すべく、第二水雷戦隊司令官古村啓蔵少将座乗する矢矧徳山沖に停泊中の戦艦大和合流矢矧原為一艦長少尉候補生23名を退艦させた。艦内倉庫にあった米麦20日分も、5日分のこして徳山軍需部に返還している。13時、大和士官室で草鹿龍之介連合艦隊参謀長第二艦隊司令官艦長達に作戦説明する一斉に不満の声があがり、原は「敵の後方補給路を『矢矧』で暴れて寸断する」と提案している。15時20分、第二艦隊所属10隻(旗艦大和》、第二水雷戦隊矢矧17駆〔磯風浜風雪風〕、21駆〔朝霜初霜〕》)は沖縄へと出撃。原は乗組員に「死に急ぐな」と訓示したという。また沖縄到着後は座礁して砲台になる事や、宮本武蔵の話をしたという乗組員回想もある。原自身矢矧被害担当艦となることで他艦への被害減らそう考えていたと回想している。夕刻伊予灘にて二水戦は大和目標とした編隊訓練襲撃運動訓練実施した詳細は「坊ノ岬沖海戦」を参照 4月7日午前6時頃、第二艦隊大隅海峡通過針路280度とした。午前6時57分、駆逐艦朝霜機関故障起こして速力低下第二艦隊から落伍した矢矧では、搭載水上偵察機事前に退避させるよう意見具申された。8時15分零式水上偵察機1機(富原辰一少尉/機長松田上飛曹/操縦佐々木上飛曹/電信)を鹿児島県指宿基地戻した12時32分から始まったアメリカ機動部隊の空襲では矢矧大和に次ぐ大型艦であったため集中して狙われることになった天候不良で、雲高3000フィート(1000m以下)、視界5 - 8浬。戦闘開始早々12時46分、アメリカ軍雷撃機TBF/TBMアベンジャー空母ベニントン所属機)が投下した魚雷1本が命中し航行不能となった1300分にも矢矧艦尾魚雷命中した最初に命中したのは右舷後部という見解もある。いずれにせよ13前に航行不能となり、このため矢矧護衛すべき大和から離れてしまった。矢矧からは10-20km遠方左舷傾斜した大和見えたという。標的態となった矢矧多数魚雷爆弾直撃至近弾で損傷拡大した最初魚雷命中直後魚雷投棄重巡三隈鈴谷のように酸素魚雷誘爆による致命傷避けることが出来た。そのため魚雷2本・爆弾1発で沈んだ矢矧姉妹艦である(能代)と比較して長い時間戦闘継続していた。「もう早沈んでくれと思うくらい沈まなかった」という艦橋勤務していた池田武邦回想残っている。 一方麾下第二水雷戦隊各艦も次々損傷していった。 まず、単艦で落伍していた朝霜が4発の直撃弾で沈没し総員326名)が戦死した次に浜風12時48分に直撃弾と魚雷直撃爆沈した。涼月は艦前部への直撃弾で大破し戦線離脱被弾して航行不能となった。この時点での大和魚雷爆弾を数発被弾して多少損害受けたもののまだ余裕があり、二水戦旗艦(矢矧)の状況確かめるべく反転しつつあったという。 13時すぎ、駆逐艦磯風(第17駆逐隊司令駆逐艦)のみが矢矧護衛していた。古司令官矢矧での水雷戦隊指揮不可能と判断健在艦を率いて沖縄突入すべく、アメリカ軍機の空襲がやんだ時間見計らって磯風17司令艦)に接近命令出した磯風1328分に矢矧横付け試みたが、直後アメリカ軍攻撃第二波来襲したため離れた二水参謀進言艦載艇海面降ろしたが、爆弾直撃将兵と共に四散このため第二水雷戦隊司令部移乗するには、磯風側が矢矧横付けするしか方法なくなった磯風速度落として矢矧横付けした瞬間米軍機襲撃され1356分に被弾至近弾により速力12ノット低下、やがて航行不能となった救援見込みなくなった矢矧最終的に合計魚雷6-7本・爆弾10-12発を被弾アメリカ軍記録矢矧対し爆弾56発、魚雷17本、機銃9970発を投下発射)、14時5分に沈没した1320分、または13時30分頃という回想もある。 矢矧沈没から十数分後の14時23前後大和も大爆発起こして沈没した矢矧から脱出した将兵は、遠方大和爆発した際に発生した巨大なキノコ雲目撃している。14時40分、脱出者に対す銃撃終えたアメリカ軍機が離脱した17時以降駆逐艦3隻(初霜雪風冬月)が矢矧乗組員救助開始した矢矧乗組員446名が戦死133名が負傷した。原(矢矧艦長)を含む乗組員500名以上と、古司令官を含む第二水雷戦隊司令部生還した矢矧乗組員大和乗組員救助した駆逐艦冬月士官によれば大和乗組員重油真っ黒、矢矧乗組員長い対空戦闘により顔が火傷腫れていたという(原艦長によると皆、重油真っ黒だったとも言われている)。 4月15日原大佐(矢矧艦長)は矢矧艦長職務解かれた。4月20日初霜艦上解散が行われ、第二水雷戦隊解隊された。6月20日除籍

※この「連合艦隊の最期」の解説は、「矢矧 (軽巡洋艦)」の解説の一部です。
「連合艦隊の最期」を含む「矢矧 (軽巡洋艦)」の記事については、「矢矧 (軽巡洋艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「連合艦隊の最期」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「連合艦隊の最期」の関連用語

連合艦隊の最期のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



連合艦隊の最期のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの矢矧 (軽巡洋艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS