アメリカ機動部隊の空襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 03:05 UTC 版)
「ギルバート諸島沖航空戦」の記事における「アメリカ機動部隊の空襲」の解説
上陸2日前の11月19日朝、アメリカ海軍第50任務部隊は、ギルバート諸島及びナウルに対して激しい空襲を開始した。これに対して日本海軍の第755航空隊は、索敵機を出して機動部隊を発見し、一式陸上攻撃機(一式陸攻)13機を攻撃に向かわせた。この攻撃隊は体当たり攻撃により空母1隻の撃沈を報じたが、アメリカ軍に該当する損害は無い。日本の攻撃隊は2機が未帰還となった。上陸部隊を乗せた輸送船団も発見されたため、日本の連合艦隊司令部は、「Z作戦」のうちギルバート諸島防衛に関する丙作戦第三法の発動を下令した。 翌11月20日にもアメリカ軍機動部隊は、ギルバート諸島やミリ環礁、ジャルート環礁(ヤルート)の日本軍航空基地を激しく空襲した。これにより飛行艇3機などが地上撃破された。日本軍は再び航空機による反撃を試みたが、索敵に出た20機のうち12機が失われ、クェゼリン環礁のロイ=ナムル島(ルオット)からの攻撃隊15機は目標を発見できず1機未帰還となった。 その後11月21日未明にも、アメリカ軍機動部隊は、ギルバート諸島やジャルート環礁などを空襲した。これは日本軍の航空部隊や地上施設に相当な打撃を与えた。タラワとマキンの陸上では上陸作戦が行われ、タラワ地上戦とマキン地上戦が始まった。地上戦の援護のため、アメリカ軍は22日と23日も、空母搭載機及びB-24爆撃機により、周辺各地の日本軍航空基地を攻撃した。
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