水上艦隊の再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:14 UTC 版)
11月5日、日本海軍は第四航空戦隊(司令官:松田千秋少将)を第二遊撃部隊に編入する。第四航空戦隊の航空戦艦2隻(日向・伊勢)は第三十一戦隊(五十鈴・霜月・桑・槇・杉・桃・梅)各艦と共に内地を出撃、南西方面にむかった。 11月10日夜、隼鷹輸送隊(空母隼鷹・巡洋艦2隻〈利根・木曾〉・第30駆逐隊〈夕月、卯月〉)がマニラに到着、隼鷹は搭載していた陸軍パラシュート部隊や特攻ボート・震洋・第31特別根拠地隊(司令官:有馬馨少将、17日より岩淵三次少将)向けの物資を陸揚げした。第一水雷戦隊(司令官:木村昌福少将)はレイテ沖海戦で旗艦阿武隈を失っていたので、木曾がマニラに残り第一水雷戦隊旗艦として多号作戦に参加することになった。隼鷹隊には、スリガオ海峡夜戦から生還したものの損傷の大きい白露型駆逐艦時雨が加わる。11月12日、隼鷹隊(隼鷹・利根・時雨・夕月・卯月)はマニラを出港、内地に向かった。 大本営がレイテ決戦方針を示した11月13日、アメリカ軍機動部隊(第38任務部隊)はマニラを襲撃した。マニラに到着したばかりの軽巡洋艦木曾は大破着底する。駆逐艦4隻(初春・沖波・秋霜・曙)は沈没するか大破着底し、給油艦隠戸が大破、駆逐艦潮が損傷した。輸送船の被害は甚大だった。唯一の優速船だった金華丸を含め、輸送船15隻(約7.3万トン)が沈没、ミンドロ島付近の輸送船2隻が沈没した。 志摩長官は「このままでは健在の駆逐艦も全滅する」と南西方面艦隊(司令長官:大川内傳七中将、参謀長:有馬馨少将)に進言し、水雷戦隊のマニラ脱出を意見具申した。13日午後の時点で、大川内中将は木村第一水雷戦隊司令官に水雷戦隊のボルネオ島西北部ブルネイへの回航を命じた(NSB電令作第749号)。旗艦那智を喪失していた第二遊撃部隊司令部(志摩清英第五艦隊司令長官など)も、各駆逐艦に便乗して撤退することになった。同日夜半、木村少将指揮下の駆逐艦5隻(霞〈木村司令官〉・初霜〈志摩長官〉・朝霜・潮・竹)はマニラを出発し、ブルネイにむかった。11月14日、ふたたびアメリカ軍機動部隊艦載機がマニラを襲撃し、曙・駆潜艇116号・輸送船3隻などが沈没した。アメリカ軍機動部隊の一連の空襲と情報分析により、先の台湾沖航空戦やレイテ沖海戦で日本海軍が主張した大戦果は誤報であることが確実となった。 11月15日、豊田連合艦隊長官は栗田中将に対し第一遊撃部隊所属の戦艦3隻(大和・長門・金剛)、軽巡洋艦矢矧、第17駆逐隊(浦風・雪風・磯風・浜風)の内地回航と修理を、シンガポールで修理中の2隻(高雄・妙高)を除く3隻(戦艦榛名、巡洋艦〈羽黒・大淀〉)を大川内傳七中将(南西方面艦隊司令長官)の指揮下に編入するよう命じた(GF電令作第419号)。大川内長官は、3隻(榛名・羽黒・大淀)を第二遊撃部隊指揮官志摩清英中将指揮下の支援部隊に編入したが、榛名はリンガ泊地到着直前に座礁し、高速航行と長期航海に支障をきたすようになった。同日夜、大川内長官は多号作戦警戒部隊(第二遊撃部隊)に部署されていた第一水雷戦隊と第二水雷戦隊を支援部隊に編入、17日には支援部隊の待機位置をスマトラ島のリンガ泊地に指定した。 11月20日、日本海軍は水上艦艇の兵力を再編する。島風沈没時に全滅した第二水雷戦隊を再建するため、第一水雷戦隊を解隊して二水戦に転用する(木村昌福少将が第二水雷戦隊司令官に就任)。旧第十戦隊の構成艦(矢矧・雪風・浦風〈21日沈没〉・磯風・濱風・霜月・冬月・涼月)も、二水戦に編入された。また第一水雷戦隊の穴埋めとして、第三十一戦隊(軽巡洋艦五十鈴〈11月19日潜水艦雷撃で損傷、桃護衛下でシンガポール回航〉、第30駆逐隊〈卯月・夕月〉・第43駆逐隊〈竹・梅・桃・槇・桐〉・第52駆逐隊〈11月15日新編、11月25日編入。桑・杉・樅・檜〉・第21海防隊)を第五艦隊に編入し、対潜作戦と輸送作戦護衛に従事させた。ここに、多号作戦は松型駆逐艦・第一号型輸送艦・第百一号型輸送艦(陸軍側呼称SB艇)・機動艇(陸軍側呼称SS艇)を主力として再開されることになった。 22日時点での支援部隊(第五艦隊旗艦足柄)の兵力は、戦艦3隻(榛名・伊勢・日向)、巡洋艦3隻(足柄・羽黒・大淀)、駆逐艦5隻(霞・潮・朝霜・岸波・霜月)となった。第三十一戦隊司令部は秋月型駆逐艦霜月を旗艦としてシンガポールからマニラに進出しようとしたが、25日に潜水艦カヴァラの雷撃で霜月は沈没、司令官江戸兵太郎少将を含め司令部全滅という結果になった。第三十一戦隊司令部(新任司令官は鶴岡信道少将)は12月上旬に内地で新編され、12月22日に空路でマニラに進出した。 一方、栗田長官の第一遊撃部隊(大和・長門・金剛・矢矧・浦風・雪風・磯風・浜風)は11月16日夕方にブルネイを出発して内地へ帰投したが、21日未明に台湾沖でアメリカ軍潜水艦・シーライオン二世の襲撃により金剛と浦風を喪失した。他の艦は23日に内海西部に到着。第17駆逐隊(浜風・雪風・磯風)は長門を横須賀まで護衛したあと、今度は空母信濃(特攻兵器桜花50基登載)を横須賀から呉まで護衛する。29日、信濃はアメリカ軍潜水艦アーチャーフィッシュの雷撃で沈没した。
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