建造から開戦までとは? わかりやすく解説

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建造から開戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 15:03 UTC 版)

叢雲 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「建造から開戦まで」の解説

1927年昭和2年4月25日藤永田造船所起工された。翌26日第39号駆逐艦艦名与えられた。1928年昭和3年8月1日叢雲改名され9月27日進水1929年昭和4年5月10日竣工した同型6-8番艦の東雲白雲薄雲前年7月竣工しており、叢雲第二艦隊第二水雷戦隊の第12駆逐隊編入され雲級4隻が揃った 。他の3隻は駆逐隊転じた時期もあったが、叢雲太平洋戦争開戦まで第12駆逐隊所属した竣工2か月後の7月9日第二水雷戦隊豊後水道演習中、午後10時頃に駆逐艦望月叢雲右舷衝突した叢雲乗員1名が死亡し、2名が負傷した望月駆逐艦三日月に、叢雲白雲曳航され、呉に帰投した。 1931年昭和6年12月1日東雲第20駆逐隊編入し、第12駆逐隊叢雲薄雲白雲となった1934年昭和9年6月29日演習中に駆逐艦深雪と電が衝突した叢雲駆逐艦初雪切断され深雪艦首部分曳航試みた濃霧で見失い翌日捜索した発見できなかった。 1935年昭和10年4月満州国皇帝溥儀戦艦比叡御召艦として来日することになり、第12駆逐隊比叡供奉艦に指定された。第12駆逐隊比叡護衛して日本中国大陸往復した9月26日叢雲三陸沖演習中、台風により多数の艦が損傷する第四艦隊事件遭遇し甲板などが損傷した10月10日から呉海軍工廠入渠した。 1936年昭和11年12月1日東雲が第12駆逐隊戻って再び4隻体制になった。第12駆逐隊1937年昭和12年12月1日第二水雷戦隊1938年昭和13年12月15日第二航空戦隊1940年昭和15年5月1日第一艦隊第三水雷戦隊編入された。7月以降第二遣支艦隊編入され日中戦争にともなう華中での沿岸作戦北部仏印進駐作戦などに参加した莆田市興化湾・南日水道海上封鎖任務中、薄雲日本軍機雷触雷して大破し叢雲薄雲台湾まで曳航した。薄雲10月15日に第12駆逐隊から除かれ12駆は3隻となった興化湾に停泊中の叢雲には海賊が度々訪問し中杉清治艦長士官海賊根拠地視察するなどの交流があったという。11月3日叢雲は呉に戻った1941年昭和16年4月下旬から8月上旬まで、内海西部訓練実施8月13日から第12駆逐隊3隻は佐世保海軍工廠修理整備行った9月12日叢雲東雲次年度に第12駆逐隊として空母 蒼龍飛龍第二航空戦隊編制する内示があったが、太平洋戦争開戦実現しなかった。9月26日佐世保出発して瀬戸内海移動し訓練従事した11月20日、第12駆逐隊叢雲東雲白雲マレー作戦参加するため桂島沖を出発した

※この「建造から開戦まで」の解説は、「叢雲 (吹雪型駆逐艦)」の解説の一部です。
「建造から開戦まで」を含む「叢雲 (吹雪型駆逐艦)」の記事については、「叢雲 (吹雪型駆逐艦)」の概要を参照ください。

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