建造とオープンまでの経緯とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 建造とオープンまでの経緯の意味・解説 

建造とオープンまでの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 09:52 UTC 版)

アクアポリス」の記事における「建造とオープンまでの経緯」の解説

沖縄国際海洋博覧会日本政府出展物として、博覧会テーマである「海-その望ましい未来」を具現するシンボル存在建造物として建設された。(社)日本海洋開発産業協会基本設計菊竹清訓建築設計事務所設計の元、1973年昭和48年10月から1975年昭和50年2月にかけて、広島県広島市中区江波沖町三菱重工広島造船所江波工場(現・三菱重工広島製作所江波工場)で本体部分建造された。アクアポリス自力航行する推進力持たないことから、4月18日から3隻のタグボート瀬戸内海佐田岬までは補助引き舟2隻・警戒船2隻が同行)で平均5ノットという低速沖縄本島備瀬崎会場沖まで曳航された。内部工事艤装工事5月完了したアクアポリスは4本のロワーハルと呼ばれる巨大な浮き水中隠れるので「潜水体」とも呼ばれるの上16本の円柱型のコラム)を立てて主甲板支え構造で、ロワーハル内のバラストタンク海水注入することで喫水5.4 mから20 mまで変化させることが可能だった。これは台風接近時の暴風による高波から構造物保護するため、暴風時にはバラストタンク海水入れて喫水を12.5m - 15.5mにまで下げ(半潜水状態)、海底アンカー固定され係留用の鎖(16本)をアクアポリスコラム下部設置されウインチ手繰り寄せ沖合い200mまで移動する動き可能にした(会期中の11月23日には台風20号接近し閉館して沖合い移動行った)。 アクアポリス主甲板には、48台のテレビ受像機組み合わせたスクリーン仮設舞台を持つ「アクアホール」・食堂医務室機械室展示区画が、その上の上甲板にはヘリポート水耕栽培エリアを持つ「アクア広場」が設けられた。 アクアポリス陸上とは、長さ250 mの「アクア大橋」で接続された。このアクアポリス側はアクアポリスの縦ゆれに追従しアクアポリス沖合い避難している間は縮む構造がとられた。

※この「建造とオープンまでの経緯」の解説は、「アクアポリス」の解説の一部です。
「建造とオープンまでの経緯」を含む「アクアポリス」の記事については、「アクアポリス」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「建造とオープンまでの経緯」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「建造とオープンまでの経緯」の関連用語

建造とオープンまでの経緯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



建造とオープンまでの経緯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのアクアポリス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS