建造とハーウェルでの使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:34 UTC 版)
「ハーウェル・コンピュータ」の記事における「建造とハーウェルでの使用」の解説
オックスフォードシャー州ハーウェル(英語版)のイギリス原子力研究機構(英語版)(AERE)で建造され、使用された。1949年に建造が開始され、1951年4月に使用可能となった。1952年5月に引き渡され、1957年まで使用された。 このコンピュータは重量が2.5トンある。現代のコンピュータのRAMに似た揮発性メモリにデカトロンを使用し、入力とプログラムの保存に紙テープを使用した。シーケンス制御にリレーが使われ、計算用に真空管が使われた。出力はテレタイプ端末や紙テープで行われた。十進数を使用し、当初は内部ストレージ用に20個の8桁デカトロンレジスタを備えていたが、後に40個に増えたことで、ほぼ全ての計算に十分であるように見えた。このコンピュータは、イギリスの電話交換機で一般的に使用される部品により作られた。プログラム内蔵方式コンピュータとして機能させることもできたが、それは通常の動作モードではなかった。乗算に要する時間は5〜10秒で、電子コンピュータとしては非常に遅かった。 ハーウェル・コンピュータを設計したテッド・クック=ヤーボロー(英語版)は、このコンピュータの設計に関して「無人で長時間実行できて、有用な計算の実行に費やされる時間が利用可能な合計時間の大部分を占める場合には、遅いコンピュータは存在を正当化できる」と書いている。この設計は、1952年5月から1953年2月までの期間の平均稼働時間が週80時間であったため、その信頼性により注目された。1948年から1961年にかけてAEREのコンピュータ研究所長を務めたジャック・ハウレット(英語版)は、「それは長期間放置される可能性があります。この記録は、年末年始の休暇のときのもので、入力データ自体が数マイルもの紙テープだったと思います。少なくとも10日間は稼働できるように紙テープを貼ってつなげましたが、休暇明けに戻ってきたときにはまだ黙々と動いていました」と話している。このコンピュータの主な特徴は、その速度ではなく、装置の耐久性だった。人間(ハンドコンピューターと呼ばれる職務)は、このコンピュータと同じ速度で計算を行うことはできるが、同じだけの時間連続して計算することはできない。ハウレットは次のようにコメントしている。 ある日、優れたハンドコンピューターであるEB 'Bart' Fosseyが卓上計算機を装置の横に持ってきて、競争を試みました。彼は30分くらい同じペースで作業を続けましたが、疲れてリタイヤしてしまいました。その時も機械は作業を続けていました。
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