建造と引き渡し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 03:51 UTC 版)
「マジェスティック (客船・2代)」の記事における「建造と引き渡し」の解説
ハンブルク・アメリカ・ラインのアルベルト・バリーン(英語版) (Albert Ballin) が構想した5万総トン級客船3隻による北大西洋航路サービス用として、インペラトール (Imperator)、ファーターラント (Vaterland) に続く3隻目として建造された。 本船の建造所はドイツのブローム・ウント・フォス社で、1914年6月20日の進水式でオットー・フォン・ビスマルクにちなんで「SS ビスマルク(SS Bismarck)」と命名された。命名者はオットーの孫娘ハンナ・フォン・ビスマルクであった。。 しかし第一次世界大戦の勃発により艤装中だった本船は工事が中断し、、未完成のまま戦後賠償としてイギリスに引き渡された。ブリタニックの代償としてホワイト・スター・ラインとキュナード・ラインの共同所有(1932年以降はホワイト・スター・ラインの単独所有)、ホワイト・スター・ラインが使用主権を持つ形で「マジェスティック」と改名。仕上変更書をブローム・ウント・フォス社に渡し1922年総トン数56,551トンの世界最大の客船として竣工したが、造船所はホワイト・スター・ライン仕様ではなくハンブルク・アメリカ・ラインの塗装で船首と船尾にビスマルクの船名を書き込んで完成させ、イギリス側船主の怒りを買った。 これに先立つ1918年11月9日、戦争回避を国王に強く主張したが聞き入られず、敗戦で育てあげた船隊の解体に悲観したアルベルト・バリーンは自ら命を絶っている。
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