建造と哨戒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/21 15:12 UTC 版)
「スティクルバック (潜水艦)」の記事における「建造と哨戒」の解説
スティクルバックは1944年3月1日にカリフォルニア州ヴァレーホのメア・アイランド海軍造船所で起工した。1945年1月1日にジョン・O・R・コル夫人によって命名、進水し、1945年3月29日にローレンス・G・バーナード中佐の指揮下就役するが、間もなくハーリー・K・ナウマン(アナポリス1934年組)艦長に代わった。スティクルバックの乗組員は、すべてサーモン (USS Salmon, SS-182) の元乗組員であった。スティクルバックは5月26日に艤装を完了し、カリフォルニア沖合での整調巡航を行う。6月21日に太平洋艦隊潜水艦部隊に合流し、真珠湾で新型機材が装着された。8月2日にグアムに到着、数日間の公試を行う。 8月6日、スティクルバックは最初の哨戒で日本海に向かった。翌週、日本海に到達し哨戒を始めたものの、この頃には原子爆弾が広島市と長崎市に投下され戦争はまもなく終わるものと考えられていた。8月15日の終戦時、スティクルバックは担当海域の哨戒を始めて2日目であった。9時50分に戦闘行為を中止する命令を受信したスティクルバックは、間を置いて日本海に留まって行動するよう命令を受けた。8月21日、スティクルバックは19名を乗せた2隻の筏を発見する。それは8月11日にジャラオ (USS Jallao, SS-368) によって北緯38度03分 東経133度12分 / 北緯38.050度 東経133.200度 / 38.050; 133.200の地点で沈められた帝北丸(帝国船舶、元フランス船ペルセー/三井物産委託、5,794トン)の生存者であった。彼らは18時間をかけて収容され、食料、水と医療処置を与えられた後、日本本土近海で降ろされた。9月9日、スティクルバックは34日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。
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