建造と、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/01 14:15 UTC 版)
1番艦「寧海」は悪化しつつある日中関係の下、石川島播磨造船所にて1931年2月21日起工、同年の10月10日に進水式を行い、1932年7月31日に竣工、同年9月1日に中国軍に編入され、第一艦隊を編成した。1934年6月5日に練習艦隊に編入され、司令・王壽廷少将の指揮下に入った。 2番艦「平海」は中国上海の江南造船廠で1931年6月18日に起工、1933年10月10日に進水、1936年6月18日に竣工した。 その後、両艦とも日中戦争勃発後の1937年9月23日に日本海軍航空機の爆撃を受けて、揚子江で大破擱座したところを鹵獲され、1938年に浮揚後、佐世保に回航されていたが、寧海は播磨造船所相生工場で、平海は呉工廠で、改装の後、1944年6月に海防艦「五百島(いおしま)」「八十島(やそしま)」として日本海軍に編入された。同年9月には、輸送戦隊旗艦用として二等巡洋艦(軽巡洋艦)への類別変更が計画されたが、五百島は変更直前の9月19日に戦没、八十島も変更直後の11月25日に戦没した。
※この「建造と、その後」の解説は、「寧海級巡洋艦」の解説の一部です。
「建造と、その後」を含む「寧海級巡洋艦」の記事については、「寧海級巡洋艦」の概要を参照ください。
- 建造と、その後のページへのリンク