蒸気機関の普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 23:52 UTC 版)
「トーマス・ニューコメン」の記事における「蒸気機関の普及」の解説
ダドリー城の炭鉱での成功により、他の炭鉱所有者がニューコメン機関を採用する方向へ動き出した。1720年頃までに、ニューコメンとコウリー(および息子)は、イングランドおよびウェールズの鉱山で5台から7台の機関を建造した。ほぼ確認されているものを下記に示す。 1712年: スタッフォードシャー州、ダドリー城近郊のコウニーグリー炭鉱。 1714年: ウォリックシャー州、ヌニートン近郊のグリフ (Griff) 炭鉱。 1715年: フリントシャー州、ハーデン(英語版)近郊のウッズ (Woods) 鉱山。 1715年: ヨークシャー州、リーズのオースソープ(英語版)近郊のモア・ホール (Moor Hall) 炭鉱。 1715年: カンブリア州、ホワイトヘブン(英語版)炭鉱。 1720年: コーンウォール州、ペンザンス近郊 (Ludgvan) のホイール・フォーチュン (Wheal Fortune) 錫鉱山。 科学者のヘンリー・バイトン(英語版)(1686年 - 1743年)はグリフに住んでいて、家の近くに据え付けられていた機関を見ることができた。数年後に自身が、ニューカースル・アポン・タインでニューコメン機関を建造した。 オースソープの機関の建造とその後の運転の監督は、コウリー父子が行っていた。完成後の1717年に、留まっていた父コウリーはオースソープで死去した。また、オースソープに生家があった少年ジョン・スミートン(1724年 - 1792年)は、この機関が動いているのを見て技術に関心を持ち、後年、ニューコメン機関の改良を手がけるようになった 。
※この「蒸気機関の普及」の解説は、「トーマス・ニューコメン」の解説の一部です。
「蒸気機関の普及」を含む「トーマス・ニューコメン」の記事については、「トーマス・ニューコメン」の概要を参照ください。
- 蒸気機関の普及のページへのリンク