蒸気機関によるプラウ耕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:10 UTC 版)
トラクター及び蒸気自動車も参照のこと 移動式の蒸気機関である蒸気自動車の登場により、1850年頃から蒸気の動力がプラウ耕に応用されるようになった。しかし、ヨーロッパでは、重い蒸気機関の重量を支えることが出来ないくらいに軟らかい土壌条件であった。 その代わりに、バランス・プラウとして知られる車輪を備えたシーソー状のプラウが、畑を横切るワイヤケーブルに牽引され、畑の両サイドに位置する蒸気機関がそのワイヤを交互に牽いた。バランス・プラウは向き合った2組のプラウを備え、片方が耕起している時、もう片方は空中に浮いていた。一方の方向にプラウが牽かれると、牽引されるプラウは、ワイヤケーブルの張力で地面へと突き刺さり耕起を行う。プラウが圃場の端に達したとき、反対側のワイヤが他の蒸気自動車によって牽かれてバランス・プラウはシーソーのように傾き、今度は逆の方向に向かってプラウが耕起することが出来た。 バランス・プラウの片方は土を右に反転させ、反対側のプラウは左に反転させることによって、ターンレスト・プラウやリバージブル・プラウのように圃場での連続したプラウ耕を実現した。19世紀中頃に蒸気自動車とバランス・プラウによる耕起法を発明して賞賛された人物は、イギリスの農業技術者であり発明家でもある、ジョン・ファウラー(John Fowler)であった。 アメリカでは、硬く締まった土壌のために蒸気トラクターで直接プラウを牽引することが可能で、ビッグ・ケース(Big Case)、リーブス(Reeves)、ソーヤー・マッセイ(Sawyer Massey)らが、この分野を切り開いていて、最大で14連のギャング・プラウ(ディスク・プラウ)が使用された。しばしば、このような大型のプラウを装備した蒸気トラクターが編隊を組み、一枚の畑に10台もの蒸気トラクターが並ぶこともあった。このようにして、一日に何百エーカーも耕起することが可能となり、唯一蒸気機関だけが大型のプラウを牽引するパワーを持っていた。内燃機関のトラクターが登場したとき、彼らが大型の蒸気トラクターと比較したのは力強さでも頑丈さでも無く、作業をこなすために必要なプラウの台数をいかに減らせるかのみだった。
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