蒸気機関導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 08:45 UTC 版)
詳細は「蒸気機関車」を参照 スコットランド出身の発明家、機械技術者であるジェームズ・ワットは、これまで鉱山から水を汲み出すのに使用されていたトーマス・ニューコメンの蒸気機関を大幅に改良した。ワットは1769年に車輪を動かすことができるレシプロエンジンを開発した。ワットエンジンは木綿工場や様々な機械類を動かすのに使用されたが、それは大型の定置エンジンであった。当時のボイラー技術ではシリンダー内の真空に作用する低圧蒸気の使用を必要としたが、これには別の復水器と空気ポンプが必要であった。それにもかかわらず、ボイラーの構造が改善されるにつれてワットはピストンに直接作用する高圧蒸気の使用を考え始めた。これが実用化されるとより小型のエンジンが製作でき、それは鉄道車両を動かすことに使用できる可能性があったことから、ワットは1784年に蒸気機関車のために設計の特許を取得した。ワットの被雇用者であったウィリアム・マードックは同年に自走式蒸気輸送機関の試作車を製作した。 最初の本格的な実用鉄道蒸気機関車は、コーンウォール生まれのイギリス人機械技術者のリチャード・トレビシックによって1804年にイギリスで製作された。これは高圧蒸気を使用してエンジンを1パワーストロークで駆動した。トランスミッションシステムにはピストンロッドの作用を平準化するために大型のフライホイールを採用した。1804年2月21日、サウス・ウェールズのマーサー・ティドビル近郊のペナダレンで世界初の蒸気機関車の運行が開始された。トレビシックは後にロンドンのブルームスベリーに敷設された円形の軌道上を走行する蒸気機関車キャッチ・ミー・フー・キャンを実演走行させたが、この機関車は非常に重く軌道が長時間の荷重に耐え切れないため実験車両の域を出なかった。 最初の商業的に成功した蒸気機関車は1812年にリーズのミドルトン鉄道のためにマシュー・マレーが製作したラック式機関車サラマンカであった。この機関車はエッジレールの軌道を走行するのに十分な重さではなく、一方のレールの側面にラックを、機関車に歯車をつけて噛み合わせることで粘着力の問題を解決した。また、このことからミドルトン鉄道は世界初のラック式鉄道である。 これに続いて1813年にはクリストファー・ブラケットとウィリアム・ヘドリーがウィラム炭鉱鉄道用に製作したパッフィンビリー機関車が登場した。この機関車は多数の車輪に重量を分散することで粘着力の問題を解決した。パッフィンビリー機関車は現在ロンドンのサイエンス・ミュージアムに展示されており、現存する世界最古の蒸気機関車である。 1814年、ジョージ・スチーブンソンはトレビシックの初期の機関車、マレーとヘドリーに触発されキリングワース炭鉱のマネージャーを説得し、そこで蒸気機関車の製作を許可された。スチーブンソンは蒸気機関車の開発と普及に中心的な役割を果たした。スチーブンソンの設計は初期から段階を踏むにつれ改善していった。スチーブンソンはキリングワース機関車を製作した。これもまた成功したフランジ付き車輪を用いた粘着式機関車である。1825年にスチーブンソンはイギリス北東に路線を持っていたストックトン・アンド・ダーリントン鉄道のためにロコモーション1号機関車を製造した。これによりストックトン・アンド・ダーリントン鉄道は1825年に世界初の公共蒸気鉄道となったが、この時点で列車の牽引には蒸気機関車と馬の両方を使用していた。1829年にスチーブンソンはロケット号を製作した。ロケット号はリバプール・アンド・マンチェスター鉄道に使用する蒸気機関車を決定するためのレインヒル・トライアルに参加し見事優勝を収めた。この成功により、スチーブンソンはイギリス、アイルランド、アメリカ合衆国、そしてヨーロッパの大部分の国で蒸気機関車の著名な製作者として認識されるようになり、自分自身の会社を設立するに至った:24–30。列車の牽引に蒸気機関車だけを使用した最初の公共鉄道は、1830年に開業したリバプール・アンド・マンチェスター鉄道であった。 日本では鉄道という概念が1853年7月に長崎に来航したロシアのエフィム・プチャーチンによって伝えられた。プチャーチンは江戸幕府との開国の交渉による滞在中に何名かの日本人を船に招き入れ、そこで蒸気機関車の模型を走らせて見せた。また、翌1854年にはマシュー・ペリーが二度目の来航に際して蒸気機関車の模型を持ち込み、横浜で実演走行を行った。この模型は人もなんとか乗れるほどの大きさであり河田八之助が客車の屋根にまたがり乗車、江川太郎左衛門が運転を成功させている。模型ではなく実物の機関車が走ったのは1865年のことで、長崎県長崎市の現長崎電気軌道大浦支線メディカルセンター停留場付近にトーマス・ブレーク・グラバーが600メートルほどの線路を敷設し、蒸気機関車「アイアンデューク号」と客車2両の編成で長崎の人々を乗せて実演走行を行った。最初の営業鉄道はお雇い外国人のエドモンド・モレルや日本の鉄道の父井上勝により建設され、1872年10月14日に新橋駅 - 横浜駅間で正式開業した。この営業路線開業に伴い納入された10両の機関車の内、最も早く日本に到着した車両が"1号機関車"としても知られる150形蒸気機関車で、1958年に第1回鉄道記念物に、1997年4月18日に国の重要文化財に指定されている。150形蒸気機関車は現在さいたま市の鉄道博物館に展示されている。 蒸気機関は1世紀以上にわたり、世界中の鉄道の支配的な動力源であり続けた。
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