ミドルトン鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/05/26 22:58 UTC 版)
マレーの会社は、リーズ近郊のミドルトン (Middleton) の炭鉱でマネージャーをしていたジョン・ブレンキンソップのところへ、1812年に初めての2気筒式蒸気機関車であるサラマンカ号を納入した。この機関車は、初めての実用的に成功した蒸気機関車であった。マレーはリチャード・トレビシックに対して設計の使用料を払っていたが、その設計を本質的に改良しており、よりスムースに駆動できるように1つではなく2つのシリンダーを搭載していた。重い貨車を牽引しているとき、鉄の車輪では鉄のレールに対して十分な粘着を確保できないと考えられたため、歯軌条式のレールに対して歯車式の車輪を組み合わせたラック式鉄道とすることになった。これは世界で最初のラック式鉄道で、4 フィート 1.5 インチの軌間であった。ブレンキンソップは1811年にラック式鉄道の特許を取得していたが、結果的にはラック式にしなくても鉄車輪と鉄レールの組み合わせで十分な粘着が得られることが分かった。サラマンカ号はとても成功し、さらにタインサイド (Tyneside) で使用するための同じ型の機関車を3両製造した。そこで、ジョージ・スチーブンソンがこの機関車を目撃し、これをモデルとしてスチーブンソン自身のブリューヒャー号 (Blücher) をラックレールなしで設計した。
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