ラック式鉄道
ラック式鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 23:36 UTC 版)
トンネルの連続による煤煙の問題から、乗務員の中には吐血や窒息する者も現れ、1911年に横川駅付近に火力発電所が設けられて1912年には日本で最初の幹線電化が行われた。 電化により碓氷線の所要時間は80分から40分に半減して輸送力は若干増強されたが、輸送の隘路であることは変わらず、「東の碓氷」は「北の板谷」、「西の瀬野八」などと並び、名だたる鉄道の難所として称された。 1900年に大和田建樹によって作成された「鉄道唱歌」第 4 集北陸編では、碓氷峠の区間は以下のように歌われている。 19.これより音にききいたる 碓氷峠のアブト式 歯車つけておりのぼる 仕掛は外にたぐいなし 20.くぐるトンネル二十六 ともし火うすく昼くらし いずれは天地うちはれて 顔ふく風の心地よさ さらに『鉄道唱歌』と同じ年に作成された、現在の長野県歌である『信濃の国』も、6番において以下のように碓氷峠を歌っている。 吾妻はやとし 日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山 穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道 みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき 古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い なお、「アブ(BU)ト」という表現は当時見られたものだが、語源はドイツ語なので現在の「アプト」の方が原語に近い。
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