ともしび
ともし‐び【▽灯火/▽灯/×燭】
ともし火
*関連項目→〔火〕
★1.ともし火は命の火でもある。ともし火が消えると人も死ぬ。
『三国志演義』第103回 重病の諸葛孔明が、幕中に祭壇を築き北斗を祭る。中央の主燈が7日間消えなければ、12年の命を得ることができる。祈祷を続けると主燈は明るさを増すが、6日目の夜、魏延が敵襲を知らせに駆けこみ、主燈を踏み消す。孔明は天命の尽きたことを知る。
『性に眼覚める頃』(室生犀星) 17歳の「私」は、70歳近い養父と一緒に寺院で暮らしていた。夏の終わり頃、「私」と同年の、文学上の友・表棹影(おもてとうえい)が肺病で寝ついたので、「私」は養父にお経をあげてくれるよう頼む。養父は本堂で1時間ほど誦経したが、「お経中に灯明が消えてしまった。その方は難しいようだね」と言った。秋の半ば過ぎに、友は死んだ。
*ともし火に浮かぶ愛人の姿→〔口〕6eの『今鏡』「打聞」第10「敷島の打聞」。
『大智度論』巻11 バラモンの大論議師提舎が頭に火を載せ、「真っ暗闇だ」と言って、王舎城に来る。人々が「日が出て明るく照らしているのに」と不思議がると、提舎は「闇に2種類ある。日が照らさぬことと、愚かさの闇がおおっていることだ。今、日の明るさはあるが、愚かさの闇はいっそう暗い」と答える。
『法句譬喩経』巻1「多聞品」第3・第2話 自らを「無比の賢者だ」とうぬぼれた梵志が、昼間に炬火を持って城市を行く。人々の問いに、梵志は「世人が皆愚冥だから、炬火で照らすのだ」と答える。仏が、「盲人が燈火を持つごとく、汝自身が暗い」と説き、梵志は慙愧する。
『ギリシア哲学者列伝』(ラエルティオス)第6巻第2章「ディオゲネス」 ディオゲネスは、白昼、ランプに火をともして、「僕は人間を探しているのだ」と言った〔*「あちこち歩き廻っていた」、と記すテキストもある〕。
『悦ばしき知識』(ニーチェ)第3書125 狂人が白昼に提灯をつけ、市場へ駆けてきて「おれは神を探している」と叫ぶ。人々が「神様は迷子になったのか? 隠れん坊をしたのか?」と嘲笑すると、狂人は「おれたちが神を殺したのだ。白昼に提灯をつけねばならぬほど、深い夜が来るのだ」と言い、提灯を地面に投げつける。灯が消える。
★3a.白昼に火をともすのとは逆に、闇夜に灯を消して真っ暗にする。それで悟りを開いた人がいる。
『無門関』(慧開)28「久嚮龍潭」 徳山(とくさん)が、龍潭和尚の寺を訪れて教えを請う。夜が更けて徳山は帰り支度をするが、外は真っ暗なので引き返して来る。龍潭和尚は、提灯に火を入れて徳山に渡す。徳山が提灯を受け取ろうとした時、龍潭和尚はフッと火を吹き消す。そのとたん、徳山は悟りを開いた。
★3b.闇夜のともし火を守る。
『ユング自伝』3「学生時代」 「私(ユング)」は夜の靄の中を、強風に抗して進んで行く夢を見た。「私」は今にも消えそうな小さなあかりを、手で囲んでいた。背後から、黒い大きな人影が追いかけて来る。どんな危険を冒しても、この小さな光だけは風の中で一晩中守らねばならないことを、「私」は知っていた。背後の人影は「私」自身の影、小さなあかりは「私」の意識を意味していた。
★4.ともし火を消す女。
『化銀杏』(泉鏡花) お貞は病中の良人(おっと)を殺したが、狂者の挙動であるとして、無罪になった。彼女は良人殺しの面(おもて)を見られることを恥じ、伯父が営む旅店の暗い一室にこもって、日光を避ける。夜半、旅客の部屋に行燈の光がある時には、お貞はこれを恐れ、部屋を訪れて火を吹き消した。髪を銀杏返しに結った幽霊が出るというので、その宿は「化銀杏の旅店」と呼ばれた。
吹き消し婆(水木しげる『図説日本妖怪大全』) ロウソクや行灯を明々とつけて宴会をしていると、風もないのにフッと火が消えてしまう。油はまだあるし、灯心が燃え尽きたわけでもない。これは吹き消し婆が、遠く離れた所からフーッと息を吹きかけ、火を消したのだ。宴会がすんで、帰る客が手に持つ提灯の火が、急に小さくなったり、消えたりする。これも吹き消し婆のしわざだ。火を消す以外の悪さはしないが、これが出現すると町は真っ暗闇になるから、厄介なことだ。
*火を消す女→〔火〕1fの 食人から始まった言語(南オーストラリア、ナリニェリ族の神話)。
『かぶ焼き甚四郎』(昔話) 甚四郎が、嫁の親である朝日長者夫妻を招いて御馳走する。夜になって長者夫妻が帰る時、甚四郎は「朝日長者殿のお帰りだ。明るくしよう」と言って、家に火をつける。長者夫妻が帰りつくまで、家は明るく燃えていた。甚四郎はすぐまた、りっぱな家を建てた(*→〔同音異義〕1a)。しばらく後、朝日長者は返礼に甚四郎夫婦を招き、同様に家に火をつけて、夜道を明るくする。しかし朝日長者は家を再建できず、小屋に住んだ(岩手県上閉伊郡)。
★6.電燈。
『燈籠』(太宰治) 「私(さき子)」の万引き事件(*→〔盗み〕2)からしばらくの後、父は「電燈が暗くては、気が滅入る」と言って、6畳間の電球を50燭の明るいものに取り替えた。父と母と「私」は、明るい電燈の下で夕食をいただいた。母は「ああ、まぶしい」とはしゃぎ、「私」は父にお酌をした。この、つつましい電燈をともした「私」たちの一家が、綺麗な走馬燈のような気がして、静かなよろこびが「私」の胸にこみあげて来た。
「ともし火」の例文・使い方・用例・文例
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