マジェスティック (客船・2代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マジェスティック (客船・2代)の意味・解説 

マジェスティック (客船・2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 10:15 UTC 版)

基本情報
経歴
起工 1913年
進水 1914年6月20日
竣工 1922年3月28日
その後 1943年解体
要目
総トン数 56,551 トン
全長 291.4 m
30.5 m
主機関 蒸気タービン
出力 86,000馬力
航海速力 23.5ノット
旅客定員 一等 750名
二等 545名
三等 850名
乗組員 1,000名
テンプレートを表示

マジェスティック (Majestic) は、ホワイト・スター・ラインが運航していた定期航路用客船

元々ハンブルク・アメリカ・ラインのビスマルク (Bismarck) として起工されたが、第一次世界大戦勃発により工事が中断し、イギリスに引き渡されマジェスティックとして竣工した。

マジェスティックの船名はホワイト・スター・ラインでは先代マジェスティックに継いで2代目であった。客船を引退後、イギリス海軍の停泊練習船カレドニア (Caledonia) となった。

建造と引き渡し

ハンブルク・アメリカ・ラインのアルベルト・バリーン英語版 (Albert Ballin) が構想した5万総トン級客船3隻による北大西洋航路サービス用として、インペラトール (Imperator)、ファーターラント (Vaterland) に続く3隻目として建造された。

本船の建造所はドイツのブローム・ウント・フォス社で、1914年6月20日の進水式でオットー・フォン・ビスマルクにちなんで「SS ビスマルク(SS Bismarck)」と命名された。命名者はオットーの孫娘ハンナ・フォン・ビスマルクであった [1]

しかし第一次世界大戦の勃発により艤装中だった本船は工事が中断し、[2]、未完成のまま戦後賠償としてイギリスに引き渡された。ブリタニックの代償としてホワイト・スター・ラインとキュナード・ラインの共同所有(1932年以降はホワイト・スター・ラインの単独所有)、ホワイト・スター・ラインが使用主権を持つ形で「マジェスティック」と改名。仕上変更書をブローム・ウント・フォス社に渡し1922年総トン数56,551トンの世界最大の客船として竣工したが、造船所はホワイト・スター・ライン仕様ではなくハンブルク・アメリカ・ラインの塗装で船首と船尾にビスマルクの船名を書き込んで完成させ、イギリス側船主の怒りを買った[3]

これに先立つ1918年11月9日、戦争回避を国王に強く主張したが聞き入られず、敗戦で育てあげた船隊の解体に悲観したアルベルト・バリーンは自ら命を絶っている。

客船としての運航

竣工後、ホワイト・スター・ラインの運航で北大西洋航路に就航。1922年から1934年まで同社のフラッグシップとなった。

1922年5月に処女航海を行い最も人気のある客船の1つとなり、1923年には最も多くの乗客を運んだ北大西洋航路客船となった。

また、1924年、1926年、1928年、および1930年も本船は姉妹船(インペラトール、ファーターラントも戦後英米船として北大西洋航路に就航していた)よりも多くの乗客を運び、マジック・スティック (Magic Stick) のニックネームを贈られた。

1924年12月には船体に100フィートのひびが発生して修理を行い、1925年には北大西洋航路で自己最速の平均速力25.0ノットを記録した。

1934年ホワイト・スター・ラインとキュナード・ラインの合併により誕生したキュナード・ホワイト・スター・ラインに移籍し、1936年に引退するまで運航された。

練習船カレドニア

本船は客船として引退後、イギリス海軍に売却され練習船に改造されて、カレドニアと改名。

1937年ロサイスで士官候補生1,500人を収容する停泊練習船となった。

1939年9月29日、火災事故が起こり着底し全損。1940年3月スクラップとして売却されたが、1943年に完全に解体されるまで残骸はそのまま残っていた。

ギャラリー

脚注

  1. ^ アルベルト・バリーンは船首像を取り付けた「インペラトール(皇帝)」に続く第二船は「オイローパ (Europa)」を希望したが皇后は「ファーターラント(祖国)」を、第三船も皇室の圧力で適わず、死後の1928年に競合相手の北ドイツ・ロイド英語版(略称 NDL)でオイローパが実現した。
  2. ^ 5万トン超の商船船体設計では未知な点が多く試行錯誤で、野心的なキャビンレイアウトが災いし第一船はトップ・ヘビー、第二船は強度不足で船体にクラックが生じるなど施した対策処置を工事中の第三船に追加し完成が遅れた経緯がある。
  3. ^ 『豪華客船の文化史』野間恒第三章浮かぶ宮殿-豪華巨船時代へ(五)平和のための客船=バリーンの三巨船p122-130

参考文献

  • 海人社『世界の艦船』1978年8月号 No.258
  • 海人社『世界の艦船』1984年3月号 No.333
  • 海人社『世界の艦船』1988年6月号 No.394
  • 海人社『世界の艦船』1989年5月号 No.407
  • NTT出版『豪華客船の文化史』野間恒著 1993年4月 ISBN 4-87188-210-1

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マジェスティック (客船・2代)」の関連用語

マジェスティック (客船・2代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マジェスティック (客船・2代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマジェスティック (客船・2代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS