客船としての運航
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 03:51 UTC 版)
「マジェスティック (客船・2代)」の記事における「客船としての運航」の解説
竣工後、ホワイト・スター・ラインの運航で北大西洋航路に就航。1922年から1934年まで同社のフラッグシップとなった。 1922年5月に処女航海を行い最も人気のある客船の1つとなり、1923年には最も多くの乗客を運んだ北大西洋航路客船となった。 また、1924年、1926年、1928年、および1930年も本船は姉妹船(インペラトール、ファーターラントも戦後英米船として北大西洋航路に就航していた)よりも多くの乗客を運び、マジック・スティック (Magic Stick) のニックネームを贈られた。 1924年12月には船体に100フィートのひびが発生して修理を行い、1925年には北大西洋航路で自己最速の平均速力25.0ノットを記録した。 1934年ホワイト・スター・ラインとキュナード・ラインの合併により誕生したキュナード・ホワイト・スター・ラインに移籍し、1936年に引退するまで運航された。
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