トラブゾンの戦い
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「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「トラブゾンの戦い」の解説
詳細は「トラブゾン戦役(ロシア語版)」を参照 1916年1月23日から4月5日にかけての期間は、断続的にコンスタンツァの石油貯蔵所や港湾施設への砲撃任務を遂行した。 2月1日から2月4日にかけてバトゥーミ分遣隊がヴィヅェ(トルコ語版)のカフカース戦線(英語版)を支援するために艦砲射撃を実施したが、第 2 機動群はこれを掩護した。 2月15日から2月20日にかけてバトゥーミ分遣隊ならびに戦列艦「ロスチスラフ」がアティナ(トルコ語版)への戦略揚陸部隊の上陸作戦に従事した際、第 1・2 機動群は交替でこれを掩護した。 2月25日、第 2 機動群はヴァルナ砲撃を試みた。しかし、作戦中に艦隊水雷艇「レイテナーント・プーシチン」が触雷沈没したことで、作戦は中止となった。 3月13日から4月4日にかけては、第 1 戦列艦戦隊と巡洋艦「カグール」および「パーミャチ・メルクーリヤ」、それに「プルート」、水上機輸送艦「アルマース」、「アレクサンドル1世」、「ニコライ1世」、艦隊に所属する艦隊水雷艇の事実上すべては、ノヴォロシースクからリゼまで、クバーニ・コサック軍の第 1 プラストゥーン旅団ならびに第 2 プラストゥーン旅団を輸送する任務に就いた。 1916年4月には、第 2 戦列艦戦隊と巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、「アルマース」、第 5 艦隊水雷艇隊は臨時でバトゥーミに基地を移した。 4月29日から5月22日にかけて、第 1・2 機動群は第 123(ロシア語版)・127 歩兵師団(ロシア語版)をマリウーポリからトラブゾン東方のカヴァタ湾へ輸送した。
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