「ヤロスラーヴリ」
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「パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)」の記事における「「ヤロスラーヴリ」」の解説
1877年から行われた露土戦争の終結を受け、ニコラーエフとセヴァストーポリの防禦を強化する方針を固めた。同時に、黒海艦隊向けに 14 kn級の巡洋艦を発注した。これが、のちに「パーミャチ・メルクーリヤ」と改称される巡洋艦「ヤロスラーヴリ」(«Яросла́вль»)であった。 「ヤロスラーヴリ」は、1879年5月、フランスのトゥーロンにあるフォルジュ・エ・シャンチエ造船所で起工した。発注は1879年5月5日付けで義勇艦隊によってなされ、1882年3月2日までは義勇艦隊に所属した。艦名は、ロシアの都市ヤロスラーヴリに因んだものであった。1880年5月には進水、1882年1月18日付けで黒海艦隊の艦船リストに登録され、同年3月に竣工して黒海艦隊へ配備された。同時代の黒海艦隊の中では、最も俊足で強力な航洋軍艦であった。
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