第9号繋留廃艦
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「パーミャチ・メルクーリヤ (巡洋艦)」の記事における「第9号繋留廃艦」の解説
退役した「パーミャチ・メルクーリヤ」はすぐには解体されず、港に繋留された。第一次世界大戦が始まると、旧「パーミャチ・メルクーリヤ」は繋留廃艦として再利用されることになった。1915年10月15日付けで第9号繋留廃艦(Бло́кшив № 9)として黒海艦隊に再登録され、艦上に黒海艦隊水雷戦隊司令部が置かれた。 1917年の二月革命後は、ロシア臨時政府の管轄下に置かれた。十月革命後の所属ははっきりしていないが、同年12月にセヴァストーポリがボリシェヴィキによって武力的に掌握されると、赤軍の管轄下に置かれた。その後、ドイツ帝国やイギリス・フランスなどの軍の管轄下に置かれた。 1919年3月には掃海隊の輸送母船(транспорт-база)として、南ロシア海軍に編入された。1920年11月14日にロシア軍がクリミアから撤退する際にセヴァストーポリに打ち捨てられ、赤軍によって接収された。同年12月には、ウクライナ・クリミア軍(ロシア語版)黒海・アゾフ海海軍に編入された。1921年8月8日には、繋留廃船から工作艦へ改装された。
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