「パーラーカー」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 09:35 UTC 版)
国鉄の場合、東海道本線特別急行列車「はと」・「つばめ」を151系により電車化する際に、従来の展望車に相当する後継車両として、以前の特別二等車を凌ぐ設備を有した大阪方先頭車のクロ151形を製造した。運転台の後にVIPや貴賓客使用を考慮した4人用の個室があり、客用扉を挟んで車体後部に位置する開放室には、左右各1列ずつの乗客が座席の向きを任意に変えられる回転式自在腰掛(リクライニングシート)が7列配置されたために定員18名。「パーラーカー」の愛称がつけられ、客車時代の一等車と同様の利用客層を前提としていたことと、二等車であっても前述したように以前存在していた特別二等車を凌ぐ設備であったため、特別二等車料金に相当する特別車両料金を要し、当時の国鉄監修時刻表による表記では従来の「展望車」記号がそのまま流用された。 12両が製造されたが、1両(クロ151-7)が事故廃車。残り11両中10両が東海道新幹線開業に伴う山陽本線特急に転用され、のちに181系化改造が施工された。しかし、利用者の絶対的な減少に伴い貴賓車予備となる2両(クロ181-11・12)を除き開放室を普通席への改造が施工され、クロハ181形となった。さらにクロ・クロハ181形への改造後も山陽特急からの撤退による関東地区への転用に伴い1973年までに全車普通車化改造され、パーラーカーは消滅した。なお、東海道特急から直接上越線に転用されたクロ151-6は転用時に直接クハ181-56に改造されている。
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