等級制度下での「特別席」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/27 08:52 UTC 版)
三等級制下では、以下のものがあった。 一等展望車における「特別室」 二等車「特別室」 特別二等車 このうち、前2者は個室であり、かつ(当然の事ながら)一等車利用者に向けられたものである。そのため、乗客自体も政府高官や華族などに限られたため、一般的といえなかった。なお、二等車特別室は1934年に主要幹線の急行・直行列車以外の一等車両連結廃止によるため、実質的には一等車のそれを格下げしたものであったとされる。 しかし、戦後1950年に登場した特別二等車は1950年の設定時より一等車と二等車の中間として設定されており、主に特別急行列車・普通急行列車での連結が主体であった。その内後者については、乗車に対しても座席指定制とするなど、「特別な存在」として初めて意識されるものであった。なお、この制度は形式上三等級制廃止となる1960年まで存続した。 1960年に従来の三等級制を廃し二等級制を採用したが、東海道本線特急「つばめ」・「はと」の電車化に伴い、それ以前の一等車並みの座席を用いたクロ151形車両については「パーラーカー」と称され、一等車運賃・特急料金とは別に特別座席券を徴した。なお、「パーラーカー」には区分室(コンパートメント)と開放室があったがいずれも特別座席券としては同額であった。 しかし、1964年に東海道新幹線開業により東海道本線特急群は廃止。山陽本線特急「つばめ」・「はと」・「しおじ」などに転用されたが、パーラーカー利用率の低下から開放室座席は1966年から1968年にかけて二等車に改造された(クロハ181形)。一等車のまま残された区分室のみは特別座席券が残されたが、1969年の等級制の廃止に伴い一般のグリーン車と同じ扱いとなった。 なお、一般のグリーン車扱いとなった区分室は、1973年に山陽本線から181系が撤退するのに合わせて車両そのものが通常の普通車に改造されて姿を消している。 制度として「パーラーカー」が廃止された1969年以降、他の交通機関との競争が出てくる1980年代に入るまで、事実上普通車とグリーン車の中間は存在しなかった。
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