等級制廃止と均一運賃化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 20:03 UTC 版)
「大連都市交通」の記事における「等級制廃止と均一運賃化」の解説
このようにして肉をそぎ落として来た当線の旅客・運賃制度であるが、大正末期になると増え続ける乗客のために今度は等級制が邪魔になって来た。大量の乗客が乗る中で特等と並等を区別するのが煩雑なだけでなく、混乗を避けるという目的も果たされなくなりつつあったのである。そこで1923年には等級制も廃止。これにより市内線は普通乗車券が片道5銭・往復10銭、回数券22枚綴りが1円となった。 また1924年には、市外線の区域が大連の市街地に編入されたことから、市内線と市外線の区別を廃止、市内から市外へ直通する際の区数が減った。ただし老虎灘線は1区となったものの、星ヶ浦線は2区のまま残された。 しかしこれも1928年には星ヶ浦線を1区にすることで改正、片道5銭・往復10銭・回数券22枚綴りが1円の全線均一制となり、終戦に至ることになった。
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