大正末期(図書館落成)
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「市立小樽図書館」の記事における「大正末期(図書館落成)」の解説
翌1923年(大正12年)、図書館の新築工事が開始され、11月30日に落成した。図書館として独立した建物は、当初の計画から20年以上、開館から7年という長い年月を経ての完成であった。当時の建物は木造2階建で、普通閲覧室、新聞閲覧室、児童閲覧室、婦人閲覧室が用意されていた。婦人閲覧室は、当時の社会状況を反映して設けられたものである。この建物の風格は、小樽在住であった小林多喜二も利用していたのではないかと想像してしまうほど、との声もある。当時の蔵書数は、和漢書が1万215冊、洋書が423冊であった。 図書館規則上、図書館には館長1人を置くことが定められていたが、開館以来、司書の田添三喜太と雇員または書記1名で運営されていた。図書館落成の翌1924年(大正13年)、河野常吉が初代館長に就任した。河野は図書館職員全員で相談し、事務の在り方を決定するなど、小樽図書館の運営方針を確立すると共に、資料の選択と収集についての指針も覚書として残した。明治から大正期にかけて活躍した地方史の研究者である河野は、その歴史認識の正確さと深さは当時から高く評価され、河野が収集した幕末から明治初期にかけての古文書類は、極めて貴重な資料群とされている。 利用者数は、1919年(大正9年)時には3千人程(1日平均14人)であったが、1934年(大正14年)には7万人を超えるまでになり、1日228人の閲覧者数を数えた。閲覧冊数も、当初は5千冊程であったものが、1934年には20倍の20万冊を越えた。
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