大正期~戦前昭和期とは? わかりやすく解説

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大正期~戦前昭和期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:21 UTC 版)

日本美術史」の記事における「大正期~戦前昭和期」の解説

明治後期から大正期美術界は、1910年明治43年)に創刊され雑誌白樺』において耽美的コスモポリタン的な西洋美術文学紹介され日露戦争勝利象徴される国力伸長相まって若者の間ではフォーヴィスムキュビズムなど反自然主義的な前衛画風好まれ個性象徴する自由な表現求め潮流見られた。 一方、『白樺創刊と同じ1910年明治43年)には幸徳秋水らが大逆罪死刑となった大逆事件発生しており、体制側では国家体制弛緩憂慮し国家威信強化するための統制行われはじめ、画家文学者一部体制恭順し、明治後期大正期文学・美術界は白樺派代表される華やかな側面と、国家権力による芸術統制戦争恐慌など時代閉塞状況反映し社会意識をもった潮流二面性特徴とする。 大正期洋画界では、前衛美術影響から自然主義的な官展画風を嫌い在野立場から反官展表明する美術団体結成相次いだ1912年大正元年)に高村光太郎斎藤与里らが中心となり、後期印象派フォーヴィスム画家終結したフュウザン会結成した1914年大正3年)には文展洋画部第二科(新派)の設置求めていれられなかった石井柏亭有島生馬らが二科会結成した大正4年には岸田劉生らの土社が結成され二科会土社は双璧となる。1914年大正3年)、前年死去した岡倉天心追慕し横山大観下村観山中心として日本美術院再興された。 一方文部省官展停滞打破するため1919年大正8年)に帝国美術院設置し従来文展廃止し新たに帝国美術院展示会帝展)を開催し帝展では従来外光派写実主義画家中心ありつつもフォーヴィスム等の前衛画風取り入れた独自のスタイル生み出していた。 1930年昭和5年)、児島善三郎林武福沢一郎三岸好太郎らが独立美術協会結成日本的フォーヴィスム・シュルレアリスムを志向した。 昭和10年代になると自由な芸術活動対す制限弾圧顕著となる。従軍する芸術家増加し、またいくつも美術団体解散されたり、政府指導の下にさらに大きな団体吸収されたりした。1943年昭和18年)に結成され新人画会靉光らのように抵抗する活動見られたが十分なものとはいえなかった。戦時下においては国民戦意高揚のため、多く画家戦争画描き戦争協力に加わることになった藤田嗣治宮本三郎中村研一らがこれにあたる1938年6月27日大日本陸軍従軍画家協会結成された。1942年3月19日全国日本画家2500人によって日本美術報国会結成された。同3月陸海軍は、戦争記録画製作のため、藤田嗣治中村研一宮本三郎小磯良平安田靫彦川端龍子福田豊四郎らの南方各地派遣決定4月-5月出発した12月3日-12月27日第1回大東亜戦争美術展(府美)、藤田十二月八日真珠湾」「シンガポール最後の日」、中村コタバル」、宮本山下パーシバル司令官会見図」など。1943年12月8日-1944年1月9日第2回大東亜戦争美術展都美術館)、宮本海軍落下傘部隊メナド攻撃」など。1944年9月28日情報局が、公募展中止などの美術展覧会取扱要綱発表二科会一水会展・新制作派展などが中止10月6日二科会解散以後旺玄社・構造社・日彫刻家協会日本木彫協会・新構造社などが解散絵画日本画富岡鉄斎:『阿倍仲麻呂明州望月』(1914年辰馬考古資料館川合玉堂:『行く春』(1916年東京国立近代美術館村上華岳:『日高河清姫図』(1919年東京国立近代美術館竹内栖鳳:『班猫』(1924年山種美術館土田麦僊:『舞妓林泉』(1924年東京国立近代美術館速水御舟:『炎舞』(1925年山種美術館前田青邨:『洞窟頼朝』(1929年大倉集古館鏑木清方:『三遊亭円朝』(1929年東京国立近代美術館小林古径:『髪』(1931年永青文庫竹久夢二:『立田姫』(1931年夢二郷土美術館福田平八郎:『漣』(1932年大阪中之島美術館上村松園:『序の舞』(1936年東京芸術大学大学美術館安田靫彦:『黄瀬川陣』(1941年東京国立近代美術館洋画関根正二:『信仰の悲しみ』(1918年大原美術館小出楢重:『Nの家族』(1919年大原美術館中村彝:『エロシェンコ像』(1920年東京国立近代美術館岸田劉生:『麗子微笑』(1921年東京国立博物館村山知義:『コンストルクチオン』(1925年東京国立近代美術館佐伯祐三:『テラス広告』(1927年ブリヂストン美術館古賀春江:『海』(1929年東京国立近代美術館安井曾太郎:『金蓉』(1934年東京国立近代美術館靉光:『眼のある風景』(1938年東京国立近代美術館梅原龍三郎:『紫禁城』(1940年大原美術館小磯良平:『斉唱』(1941年兵庫県立美術館松本竣介:『立てる像』(1942年神奈川県立近代美術館藤田嗣治:『アッツ島玉砕』(1943年東京国立近代美術館版画棟方志功:二菩薩釈迦十大弟子1939年棟方志功記念館ほか) 工芸陶芸富本憲吉 民芸芹沢銈介 河井寛次郎 大正期新興美術運動

※この「大正期~戦前昭和期」の解説は、「日本美術史」の解説の一部です。
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