大正期~戦前昭和期
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明治後期から大正期の美術界は、1910年(明治43年)に創刊された雑誌『白樺』において耽美的・コスモポリタン的な西洋美術や文学が紹介され、日露戦争の勝利に象徴される国力の伸長と相まって、若者の間ではフォーヴィスムやキュビズムなど反自然主義的な前衛画風が好まれ、個性を象徴する自由な表現を求める潮流が見られた。 一方、『白樺』創刊と同じ1910年(明治43年)には幸徳秋水らが大逆罪で死刑となった大逆事件が発生しており、体制側では国家体制の弛緩を憂慮し国家の威信を強化するための統制も行われはじめ、画家や文学者の一部は体制に恭順し、明治後期・大正期の文学・美術界は白樺派に代表される華やかな側面と、国家権力による芸術の統制や戦争・恐慌など時代の閉塞状況を反映し社会意識をもった潮流の二面性を特徴とする。 大正期の洋画界では、前衛美術の影響から自然主義的な官展の画風を嫌い在野の立場から反官展を表明する美術団体の結成が相次いだ。1912年(大正元年)に高村光太郎・斎藤与里らが中心となり、後期印象派やフォーヴィスムの画家が終結したフュウザン会を結成した。1914年(大正3年)には文展洋画部に第二科(新派)の設置を求めていれられなかった石井柏亭、有島生馬らが二科会を結成した。大正4年には岸田劉生らの草土社が結成され、二科会と草土社は双璧となる。1914年(大正3年)、前年死去した岡倉天心を追慕し横山大観、下村観山を中心として日本美術院が再興された。 一方、文部省は官展の停滞を打破するため1919年(大正8年)に帝国美術院を設置し、従来の文展を廃止し新たに帝国美術院展示会(帝展)を開催し、帝展では従来の外光派的写実主義の画家が中心でありつつも、フォーヴィスム等の前衛画風を取り入れた独自のスタイルを生み出していた。 1930年(昭和5年)、児島善三郎・林武・福沢一郎・三岸好太郎らが独立美術協会を結成。日本的フォーヴィスム・シュルレアリスムを志向した。 昭和10年代になると自由な芸術活動に対する制限、弾圧が顕著となる。従軍する芸術家も増加し、またいくつもの美術団体が解散されたり、政府の指導の下にさらに大きな団体に吸収されたりした。1943年(昭和18年)に結成された新人画会の靉光らのように抵抗する活動も見られたが十分なものとはいえなかった。戦時下においては国民の戦意高揚のため、多くの画家が戦争画を描き戦争協力に加わることになった。藤田嗣治、宮本三郎、中村研一らがこれにあたる。 1938年6月27日、大日本陸軍従軍画家協会が結成された。1942年3月19日、全国の日本画家2500人によって日本美術報国会が結成された。同3月、陸海軍は、戦争記録画製作のため、藤田嗣治・中村研一・宮本三郎・小磯良平・安田靫彦・川端龍子・福田豊四郎らの南方各地派遣を決定、4月-5月出発した。12月3日-12月27日、第1回大東亜戦争美術展(府美)、藤田「十二月八日の真珠湾」「シンガポール最後の日」、中村「コタバル」、宮本「山下・パーシバル両司令官会見図」など。1943年12月8日-1944年1月9日、第2回大東亜戦争美術展(都美術館)、宮本「海軍落下傘部隊メナド攻撃」など。1944年9月28日、情報局が、公募展の中止などの美術展覧会取扱要綱を発表。二科会・一水会展・新制作派展などが中止。10月6日、二科会解散、以後旺玄社・構造社・日本彫刻家協会・日本木彫家協会・新構造社などが解散。 絵画日本画富岡鉄斎:『阿倍仲麻呂明州望月』(1914年、辰馬考古資料館) 川合玉堂:『行く春』(1916年、東京国立近代美術館) 村上華岳:『日高河清姫図』(1919年、東京国立近代美術館) 竹内栖鳳:『班猫』(1924年、山種美術館) 土田麦僊:『舞妓林泉』(1924年、東京国立近代美術館) 速水御舟:『炎舞』(1925年、山種美術館) 前田青邨:『洞窟の頼朝』(1929年、大倉集古館) 鏑木清方:『三遊亭円朝』(1929年、東京国立近代美術館) 小林古径:『髪』(1931年、永青文庫) 竹久夢二:『立田姫』(1931年、夢二郷土美術館) 福田平八郎:『漣』(1932年、大阪中之島美術館) 上村松園:『序の舞』(1936年、東京芸術大学大学美術館) 安田靫彦:『黄瀬川陣』(1941年、東京国立近代美術館) 洋画関根正二:『信仰の悲しみ』(1918年、大原美術館) 小出楢重:『Nの家族』(1919年、大原美術館) 中村彝:『エロシェンコ像』(1920年、東京国立近代美術館) 岸田劉生:『麗子微笑』(1921年、東京国立博物館) 村山知義:『コンストルクチオン』(1925年、東京国立近代美術館) 佐伯祐三:『テラスの広告』(1927年、ブリヂストン美術館) 古賀春江:『海』(1929年、東京国立近代美術館) 安井曾太郎:『金蓉』(1934年、東京国立近代美術館) 靉光:『眼のある風景』(1938年、東京国立近代美術館) 梅原龍三郎:『紫禁城』(1940年、大原美術館) 小磯良平:『斉唱』(1941年、兵庫県立美術館) 松本竣介:『立てる像』(1942年、神奈川県立近代美術館) 藤田嗣治:『アッツ島玉砕』(1943年、東京国立近代美術館) 版画棟方志功:二菩薩釈迦十大弟子(1939年、棟方志功記念館ほか) 工芸陶芸富本憲吉 民芸芹沢銈介 河井寛次郎 大正期新興美術運動
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