「ヒ」起源としての古代朝鮮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 09:47 UTC 版)
「ヒ (日)」の記事における「「ヒ」起源としての古代朝鮮」の解説
天孫・天神系氏族の称号として「ヒ」はその起源を古代朝鮮氏族に遡ることができる。古代朝鮮の新羅および高句麗の王名や始祖名には「解」の語尾が特徴的に現れる。「解(hae)」は「日(hae) 」の漢字による当て字と考えられており、古代朝鮮の支配層はその名称語尾に日本と同じ「ヒ」を用いていたと推論できる。新羅王は2代に南解、4代に脱解、10代に奈解、12代に沾解、16代に訖解がみえ、「解」を語尾につけている。高句麗では始祖解慕漱(ヘモス)、初代東明聖王(朱蒙)は衆解とも呼ばれ、2代瑠璃明王は「解儒留」、3代大武神王は「解朱留」、4代閔中王は「解色朱」、5代慕本王は「解愛婁」といい、5代まで「解」を名乗っている。また初代の朱蒙は姓を高氏と「三国史記」は伝えているが、「三国遺事」は「本姓解也」と伝えている。百済は高句麗と同じく扶余族出身で「解」を氏とした(『三国遺事』)。百済では王族貴族姓に「解」があり、「莫古解」、「古爾解」、「適莫爾解」(『日本書紀』)や「仇頗解」、「訓解」、「解須」、「解仇」、「解明」などが見える(『三国史記』百済本紀)。以上『解」は新羅、高句麗、百済の王族の姓あるいは称号として共通に使われている。解の古音は「日」の訓であり、解が日を意味したことは『後魏書』(554年)が高句麗の朱蒙(衆解)を「日子」と記していることからもうかがえる。これは日本の天皇が「日の御子」あるいは「日継ぎの皇子」というのと同じ言い方である。こうした類似性はヤマト王権の「ヒ」の建国神話が古代朝鮮王朝のヒ・へ(日、解)の建国神話に由来することを示唆する。さらに日本に最も近い加羅の建国神話には始祖王に「悩窒朱日」なる名前が出てくる。末松保和によれば「悩窒朱日」の意味は「常に光る朱き日」である。 この語尾の「−−日(ヒ)」は日本の天孫天神系のヒの語尾と同じであり、新羅、高句麗、百済の王族の「ヘ(解)」と共通する。「このようにみてくると、日本のヒ型神・人名について、これを大王家が扶余系の建国神話を取り入れた際同時に朝鮮半島から入ってきた、元々は扶余にその源を発する朝鮮半島系の神・人名であろうと見るのは、ごく当然の推理だと言っていいだろう」。
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