慕本王とは? わかりやすく解説

慕本王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 04:17 UTC 版)

慕本王(ぼほんおう、30年 - 53年)は、高句麗の第5代の王(在位 48年 - 53年)。姓は高、は憂、または解愛婁[1]。『三国史記』高句麗本紀では先々代の大武神王の嫡子であり、『三国遺事』王暦では先代の閔中王の弟とする。32年12月、大武神王の嫡子として太子に立てられたが、44年10月の大武神王の死去の際には幼少であったため、王の弟の閔中王が推戴されて王位に就いており、48年に閔中王が亡くなると解愛婁が王位に就いた。


  1. ^ 閔中王及び慕本王の諱に「解」の字が共通しており、扶余王の解夫婁東明聖王伝説に見る朱蒙の父解慕漱の連想でこれを姓とみる説もある。解()は太陽・日輪の古朝鮮語を転写したものであり、天帝の子を自称した解慕漱にふさわしいとする。→鮎貝1987 pp.72-74.


「慕本王」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「慕本王」の関連用語

慕本王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



慕本王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの慕本王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS