1917年初頭の戦役
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「パーミャチ・メルクーリヤ (防護巡洋艦)」の記事における「1917年初頭の戦役」の解説
1917年になると、黒海艦隊は数隻の「エリピヂフォール」級掃海船を実戦配備した。これはすでに就役して機雷敷設任務にも投入されていた第 234 号掃海船の同型船で、喫水が浅いことから敵基地付近や、とりわけボスポラス海峡のすでに機雷を敷設した箇所でもさらなる機雷敷設作戦行動が可能であった。そうした作戦が最初に遂行されたのは1917年1月4日から1月5日にかけてのことで、第 234 掃海船と第 239 掃海船が作戦に投入された。 2 隻の「エリピヂフォール」級掃海船は護衛の艦隊水雷艇 2 隻を伴った機雷敷設艦「クセーニヤ」と「コンスタンチン」に曳航されてボスポラス海峡口へ向かったが、「パーミャチ・メルクーリヤ」は第 2 戦列艦戦隊の掩護の下、機雷敷設艦隊を支援した。この作戦では、ボスポラス海峡口にて機雷敷設作戦に従事した。この作戦で、 460 個の機雷が敷設された。「エリピヂフォール」級はすでに敷設済みの機雷原の上を無事に通過し、新たな機雷を敷設した。また、潜水艦が修正任務に就いた。 2月10日から2月12日にかけての期間に、戦列艦「スヴォボードナヤ・ロシア」、巡洋艦「パーミャチ・メルクーリヤ」、 3 隻の艦隊水雷艇はアナトリア沖で 3 隻のオスマン帝国帆走スクーナーを撃沈した。
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