「琵琶湖周航の歌」の誕生
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「琵琶湖周航の歌」の記事における「「琵琶湖周航の歌」の誕生」の解説
小口太郎は、1916年(大正5年)に三高予科第二部乙類に入学。水上部に入部した。小口は1917年(大正6年)6月の周航中にこの歌詞を思いついたとされ、周航2日目の6月28日夜、今津(現:滋賀県高島市今津町)の宿で披露された。なお、この年の周航は、雄松(近江舞子) - 今津 - 彦根 - 長命寺(近江八幡)に宿泊する4泊5日の旅程であった。小口が1917年6月28日に今津から三高の寮の友人にあてたはがきが残っている。 今津の宿で、小口は「今日ボートを漕ぎながらこんな詩を作った」と仲間に披露した。部員の中安治郎が「小口がこんな歌を作った」と仲間に紹介したともいう。小口の詩を、当時三高生の間で流行していた歌「ひつじぐさ」のメロディに当てて歌うとよく合ったため合唱し、これが定着することとなった。 なお、今津の宿で披露された歌詞にはその後補足が加えられており、現在見られる6番までの全歌詞は翌1918年(大正7年)夏までに完成した。その後、三高の寮歌・学生歌として広まっていった。
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