生田博巳とは? わかりやすく解説

生田博巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/11 15:50 UTC 版)

いくた ひろみ
生田 博巳
プロフィール
本名 生田 登
生年月日 1929年
没年月日 2000年12月16日
最終学歴 神戸大学文理学部卒業
職歴 NHKアナウンサー
読売テレビアナウンサー
フリーランス
活動期間 1953年 - 2000年
担当番組・活動
出演経歴 全国高校野球選手権大会中継
備考
南海太郎の名でも活動。

生田 博巳(いくた ひろみ、1929年 - 2000年12月16日、本名:生田 登[1]〔 - のぼる〕、別名義:南海 太郎[2]〔なんかい たろう〕)は、日本アナウンサータレント

経歴

神戸大学文理学部(後の文学部)卒業[1]。入学時には経済学部にいたが、途中で文理学部へ転部した[1]

1953年に大学を卒業し、日本放送協会 (NHK) に入局[1]。同期に磯村尚徳和田勉吉田直哉がいる。大阪局にアナウンサーとして配属され、主にプロ野球高校野球などのスポーツ中継で実況などを担当した。

1958年、読売テレビ (YTV) の開局とともに同局へ移籍し[1]、ここでもスポーツ実況などを担当した。

読売テレビ退社後の1964年からはフリーランスで活動[1]。また、読売テレビ入社前の1957年に創設したアナウンサー養成学校「生田教室」も主宰し、数多くの在阪局アナやタレントを輩出した[1][3]。他に、奈良交通路線バスの車内アナウンス(テープによる録音)も担当した[要出典]

南海ホークスの大ファンであり、その縁もあって南海太郎の名でラジオ大阪ホークス日曜ナイター』にレギュラーゲストとして出演、野球実況アナ時代の経験を生かした解説で人気を博した。

がんにより、2000年12月16日に大阪市内の病院で死去した[1]。享年71。

出演

NHK時代

読売テレビ時代

フリー時代

関連人物

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 元NHKアナの生田博巳さん死去”. 神戸大学NEWSNET委員会 (2000年12月18日). 2025年2月11日閲覧。
  2. ^ 「なんばeスポーツウィーク」が大阪にて開催”. GAME Watch. インプレス (2023年6月4日). 2025年2月11日閲覧。
  3. ^ ◇活躍する卒業生16◇RSK山陽放送ラジオ制作部 榎崎朱子さん(英文科1990年卒)”. 武庫川女子大学 (2022年5月27日). 2024年4月16日閲覧。




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