平光淳之助とは? わかりやすく解説

平光淳之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/26 07:44 UTC 版)

ひらみつ じゅんのすけ
平光 淳之助
プロフィール
出身地 日本 東京府
(現・東京都
生年月日 1923年4月10日
没年月日 (2017-03-17) 2017年3月17日(93歳没)
最終学歴 青山学院大学
活動期間 1951年 - 1981年NHK局員アナウンサーとして)
出演番組・活動
出演経歴 本文参照

平光 淳之助(ひらみつ じゅんのすけ、1923年大正12年〉4月10日[1] - 2017年平成29年〉3月17日[2] )は、フリーアナウンサーで、元NHKアナウンサー。本名同じ[1]

来歴

東京府出身[1]。旧制青山学院高等部卒業[1]青山学院大学文学部英米文学科出身[注釈 1]三菱商事リーダーズ・ダイジェスト社を経て[1]1951年にNHK入局[1]秋田放送局仙台放送局を経て1954年から東京勤務[1]1959年には皇太子明仁親王美智子妃の御成婚パレードの実況放送を担当。1960年からワシントンVOA局に日本語放送アナウンサーとして派遣、1962年に帰国。1981年にNHK退職後はテレビ東京(1981年9月まで「東京12チャンネル」)の局契約を経てフリー。

担当番組

NHK時代

主にニュース、ドラマ・ドキュメンタリーのナレーションを中心に様々な番組を担当。19時の全国ニュースを担当するなど、エース格のアナウンサーである。以下は主なもの。

1959年11月放送、第99集「奇病のかげに」(構成 小倉一郎)も平光による語りである。

東京12ch→テレビ東京時代

  • 平光淳之助のひるワイド
    • 2時の家庭百貨 1981年4月6日 - 6月ごろ
    • いきいき2時 1981年7月7日 -

フリー転向後

映画

脚注

注釈

  1. ^ 慶應義塾大学に入学し、1945年の春に中退」と紹介している資料もある[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 河北新報 1983年9月27日 18面「登場」コーナー
  2. ^ 私の目標でした 訃報・平光淳之助さん アナウンサーは泣くな! 瀧内泉 公式ブログ 2017年3月18日付

関連項目





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