平安時代以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 11:22 UTC 版)
以上のように、当寺の創建伝承については伝説的色彩が濃く、創建の正確な事情についてははっきりしない。園城寺(三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』所収の僧・行尊の三十三所巡礼記は、西国三十三所巡礼に関する最古の史料であるが、これによると、11世紀末頃に行尊が三十三所を巡礼した時は、御室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であった。 寛平年間(889年 - 898年)には園城寺の円珍が留錫し、その後、花山法皇がこの地に離宮を設け、当寺を西国三十三所巡礼の第10番札所とした。 康和年間(1099年 - 1103年)、園城寺長吏の隆明大僧正が当寺を中興し、また園城寺子院の羅惹院を当寺に移転させ、自らも住するようになると、御室戸の僧正と呼ばれるようになり、御室戸寺も隆盛を誇った。この頃、光仁天皇、花山法皇、白河法皇三帝の離宮になったことから御室戸寺の「御」を、「三」に替えて三室戸寺と称するようになる。 その後寛正3年(1462年)の火災で伽藍を失うが、文明19年(1487年)に園城寺阿弥陀院の壱阿によって本堂が再建される。しかし、天正元年(1573年)には織田信長に敵対して槙島城に立て籠もった将軍足利義昭の味方をしたために寺領を悉く没収されて衰退した。 寛永16年(1639年)、道晃法親王によって復興される。 現存する本堂は江戸時代後期の文化11年(1814年)に法如和尚によって再建されたものである。
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