忠尋とは? わかりやすく解説

ちゅうじん 【忠尋】

平安後期天台宗僧。佐渡生まれ叡山学び天台座主顕密学匠として知られ恵心流分派東陽房流の祖。中古天台の書で、後世彼の著作仮託されたものが多い。(一〇六五~一一三八

忠尋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/24 21:44 UTC 版)

忠尋(ちゅうじん、治暦元年(1065年) - 保延4年10月14日1138年11月18日))は、平安時代後期の天台宗の僧。父は源頼平の子の土佐守檜坂忠季、兄弟は貞頼とする。大谷座主とも称される。佐渡国出身。

略歴

比叡山の長豪・覚尋・良祐に天台教学を学ぶ。初め洛北の曼殊院に住したが、その後比叡山北谷東陽院に移った[1]1115年永久3年)里坊として東山大谷に十楽院を開創し、1118年元永元年)に権律師、1130年大治5年)に天台座主1137年(保延3年)に大僧正に任じられた。恵心流の天台教学の振興に努め、忠尋の門流は東陽院流と称された。

脚注

  1. ^ ただし、南北朝時代の曼殊院の記録では東陽坊(東陽院)の忠尋が曼殊院の初代であると記しており、曼殊院が東陽院の別院として忠尋が創建された可能性もある(大塚紀弘「中世の曼殊院門跡」永村眞 編『中世の門跡と公武権力』(戎光祥出版、2017年) ISBN 978-4-86403-251-3)。



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