源頼平とは? わかりやすく解説

源頼平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 13:47 UTC 版)

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源頼平
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
改名 頼平→満照(号)
官位 従五位上加賀介武蔵守
氏族 清和源氏経基流
父母 父:源満仲、母:源俊の娘
養父:源頼光
兄弟 頼光頼親頼信頼平頼明頼貞頼範、頼尋、源賢(賢快)、藤原頼親室、源敦室、藤原道綱
養兄弟:孝道
藤原惟風の娘
柏原頼盛、檜坂忠季、頼風、頼増、藤原季仲
養子:永壽頼昭源資通源済政
特記
事項
源満快の子・頼季と同一人物説有り
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源 頼平(みなもと の よりひら)は、平安時代中期の武士官人源満仲の四男。一説に兄・頼光の養子となっていたとされるほか、従兄弟・頼季(源満快の子)と同人物ともされる(『尊卑分脈』)。

経歴

兄・頼光と同様、主に京における中級官人として活動する。長元4年(1031年)には正倉率分所別当の候補に名が上がるも、これを辞退したとの記録が残っている(『小右記』)。その後出家して満照と号し、摂津国多田庄[1]普明寺を開山した。

子孫

藤原惟風(藤原北家長良流)の娘を娶って長男・柏原頼盛、次男・檜坂忠季を儲けたほか、匂当源頼風、祇園別当阿闍梨永壽、園城寺博士頼増、四天王寺別当頼昭らの子があった。

また、女子は三名が確認され、源資通藤原季仲源済政の室となっている。子孫は柏原氏、檜坂氏、匂当氏などを称すが、三人の兄の家系ほどの活躍は見られない。なお忠季の子・忠尋天台座主大僧正となり、天台宗の発展に功績を挙げている。

系譜

脚注

  1. ^ 現在の兵庫県宝塚市

出典

関連項目





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