源頼親
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/26 22:31 UTC 版)
源 頼親(みなもと の よりちか)は、平安時代中期の武将。源満仲の次男。大和源氏の祖。河内源氏の祖・源頼信とは同母兄弟にあたる。
- ^ 『石川郡誌』(福島県石川郡役所、1923年)23頁
- ^ 『石川郡誌』(福島県石川郡役所、1923年)24頁
- ^ a b 奈良県史所収『越智氏略系図』と戦国大名系譜人名事典所収『越智氏系図』)によると孫(頼成の子)と記されている。
- ^ 『小右記』同年2月16日条。
- ^ これは致信の主君で大和守を務めていた藤原保昌が同国内の利権を巡り保昌の甥・頼親と競合した際、大和の在地領主で頼親の郎党であった右馬允・当麻為頼を殺害したことに致信が関与したことに対する報復であったと考えられている。
- ^ 『御堂関白記』寛仁元年3月15日条。
- ^ 陸奥石川氏の伝承によれば、7年後に勅免によって本位に復し、天喜5年(1057年)に摂津豊島郡にて没したとされる。ただし『石川郡誌』では「康保3年(966年)生まれ、天喜5年(1057年)死去、享年89」とされており、生没年と享年が整合しないためいずれかに誤記の可能性がある。
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