承胤法親王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 宗教家 > 宗教家 > 日本の僧 > 承胤法親王の意味・解説 

承胤法親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 04:39 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
承胤法親王
続柄 後伏見天皇皇子
身位 二品・法親王
出生 文保元年(1317年
死去 天授3年4月9日1377年5月16日)(享年61)
父親 後伏見天皇
母親 正親町守子
役職 梶井門跡
天台座主
四天王寺別当
テンプレートを表示

承胤法親王(しょういんほっしんのう、文保元年(1317年) - 天授3年4月9日1377年5月16日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての法親王。父は後伏見天皇。母は従三位正親町(藤原)守子権大納言正親町実明女)。光聚院宮とも称される。光厳天皇光明天皇らの異母兄弟で、同母兄弟に長助法親王・亮性法親王・璜子内親王(章徳門院)がいた。

略歴

元弘元年(1331年)7月に出家得度。その後、梶井門跡(三千院)を継承し、興国5年(1344年)以降天台座主に3度就任している。その間、正平14年(1359年)8月に四天王寺別当になり、文中元年(1372年)には後光厳上皇院宣により梨本門跡(三千院)に還住した。二品に叙せられ、天授3年4月9日入寂。享年61。





承胤法親王と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「承胤法親王」の関連用語


2
36% |||||

3
36% |||||

4
36% |||||


6
36% |||||

7
36% |||||

8
32% |||||



承胤法親王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



承胤法親王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの承胤法親王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS