小山政光までの諸系譜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 00:14 UTC 版)
『尊卑分脈』 兼光━頼行━太田行尊(行高)━行政━小山政光なお『尊卑分脈』で武行は行尊の兄、行光は行政の弟とある。また行範(行則)は頼行の弟の名としてみえる。 『群書類従』「小山系図」 兼光━頼行━太田行尊━行政(宗行)━小山政光 『下野国誌』 兼光━頼行━太田行尊━宗行━行政━行光━小山政光 「白河結城系図」 兼光━頼行━太田行隆━宗行━行政━行光━小山政光(東大史料編纂所および『続群書類従』) 「藤姓小山氏系図」 兼光━頼行━武行━太田行尊━行政━行光━小山政光(東大史料編纂所) 「諸家系図纂 結城系図」 兼光━行範━太田行高━宗行━行政━行光━小山政光(東大史料編纂所)行範は頼行の弟、行高が伯父頼行の養子となって家を継ぐ 『続群書類従』第155巻 系図部50「小山系図」 兼光━頼行━武行━太田行尊━行政━行光━小山政光 『続群書類従』第155巻 系図部50「結城系図」 兼光━頼行━兼行━太田行隆(宗行)━行政━行光━小山政光兼行の弟に武行を置く。 『続群書類従』第156巻 系図部51「小山結城系図」 兼光━頼行━兼行━行則━行高━宗行━行政━行光━小山政光 『続群書類従』第156巻 系図部51「結城系図」 兼光━行範━太田行高━宗行━行政━行光━小山政光行範の兄に頼行を置く。太田行高に伯父頼行の養子となって家を継ぐとの注あり。 野口実は系譜を照合し、兼光から太田行尊(行高)までの仮説を出した。「結城系図」(『続群書類従』)の太田行高が伯父頼行の養子となって家を継ぐとの記述などから、頼行の弟に武行=行範(行則)を置き、その子が太田氏祖の行尊(行高・行隆)で頼行の養子となったとする。ただしこれは兼光から行尊までが3世代となっている系譜を説明するための仮説であり、野口は先述の3世代の系譜と、兼光━頼行━武行━太田行尊の4代となる系図があるとしている。 『国史大辞典』「小山氏」(稲垣泰彦著)では小山政光を行政の子とする。『栃木県史』は系譜が異なることを指摘するが、本文では『尊卑分脈』説を採る。『群馬県史』は秀郷流藤原氏の説明で野口仮説を採用し、太田行尊を頼行養子とする。『久喜市史』は野口仮説を採用して太田行高を頼行養子とした上で、行政(宗行に改名)━行光━小山政光とする。『戦国大名系譜人名事典 東国編』「小山氏」(市村高男著)では太田行尊━行政━行光━小山政光とする(行尊以前は略)。また、野口実も下河辺氏に関する別の論文で行尊(行高)以降を行高━行政━行光━小山政光として、行光の弟として大方政家を配し、政光の兄弟として太田行広・大河戸行方を兄、下河辺行義を弟としている。 また小山政光の兄弟にも異同がある。政光と同世代で太田氏を継いだ太田行広やその兄弟の大河戸行方が、政光の兄とされる系図がある(『続群書類従』第155巻・156巻「結城系図」)。『尊卑分脈』では、行広・行方は兄弟二人とも行政の弟・行光の子、つまり政光のいとこであり、大河戸氏を称したとされる。『久喜市史』『戦国大名系譜人名事典 東国編』は太田行広・大河戸行方を小山政光の兄に置いている。
※この「小山政光までの諸系譜」の解説は、「小山氏」の解説の一部です。
「小山政光までの諸系譜」を含む「小山氏」の記事については、「小山氏」の概要を参照ください。
- 小山政光までの諸系譜のページへのリンク