横山党とは? わかりやすく解説

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横山党

読み方:ヨコヤマトウ(yokoyamatou)

平安末期鎌倉前期武蔵国武士団

別名 小野


横山党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/10 16:09 UTC 版)

横山党(よこやまとう)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて、武蔵国多摩郡(現・東京都八王子市横山荘を中心として、武蔵国(大里郡比企郡 - 橘樹郡)および相模国北部に割拠した同族的武士団である。武蔵七党の一つ。武蔵七党系図の筆頭。有名人としては、中条家長(初代評定衆として御成敗式目の策定に関与)や愛甲季隆(弓の名手。畠山重忠を討ち取る)、横山時兼(正治2年)(淡路国守護)などが居る。時兼の叔母は鎌倉幕府侍所別当の和田義盛の妻、妹は和田義盛の長男常盛の妻であった。建暦3年(1213年)和田義盛と執権北条義時とが対峙した和田合戦で姻戚関係にあった和田氏に与したが敗れ衰退した。なお猪俣党も一族であり、横山義隆の弟の時資(またはその子時範)が猪俣となった。


  1. ^ 柴田孝夫『地割の歴史地理学的研究』(古今書院、1975年)238頁


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横山党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 00:48 UTC 版)

武蔵七党」の記事における「横山党」の解説

詳細は「横山党」を参照 武蔵国多摩郡横山庄(現在の東京都八王子市付近に当たる)を中心に大里郡(現埼玉県北部熊谷市深谷市その周辺地域)および比企郡から橘樹郡現在の神奈川県川崎市市域に相当)にかけての武蔵国さらには相模国高座郡神奈川県相模川左岸流域一帯)にまで勢力があった武士団武蔵七党系図筆頭である。(一族横山氏中心に海老名氏愛甲氏大串氏、小俣氏成田氏本間氏など。先祖小野篁。その多く和田合戦滅亡する一部武士存続する本間氏などは佐渡地頭として繁栄した

※この「横山党」の解説は、「武蔵七党」の解説の一部です。
「横山党」を含む「武蔵七党」の記事については、「武蔵七党」の概要を参照ください。

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