八幡八雲神社とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 施設 > 寺社仏閣 > 郷社 > 八幡八雲神社の意味・解説 

八幡八雲神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 06:39 UTC 版)

八幡八雲神社

拝殿
所在地 東京都八王子市元横山町2-15-27[1]
位置 北緯35度39分40.39秒 東経139度20分6.49秒 / 北緯35.6612194度 東経139.3351361度 / 35.6612194; 139.3351361座標: 北緯35度39分40.39秒 東経139度20分6.49秒 / 北緯35.6612194度 東経139.3351361度 / 35.6612194; 139.3351361
主祭神 誉田別尊
素盞鳴尊[1]
社格 郷社
創建 924年延長2年)[1]
例祭 7月23日24日 / 9月15日
地図
八幡八雲神社
テンプレートを表示
八王子まつり・八幡八雲神社の宮神輿渡御(2019年8月4日撮影)

八幡八雲神社(はちまんやくもじんじゃ)は、東京都八王子市元横山町にある神社。八幡神社(八幡宮)と八雲神社(天王宮)とを合祀したもので、誉田別尊(応神天皇)と素盞鳴尊を祭神とする。旧社格は郷社。八王子では東の鎮守・八幡八雲神社、西の鎮守・多賀神社(八王子市元本郷町所在)として尊崇されている。

歴史

八幡神社の創立

八幡神社は、924年(延長2年)武蔵守小野隆泰武蔵国多摩郡横山に石清水八幡宮勧請したことに始まる[1]

939年(天慶2年)、横山牧が勅旨牧(国営牧場)となり、武蔵権守となった小野義孝は横山に館を構え、横山姓(横山党)に改め、横山義孝(小野義孝)が武蔵七党の一つである横山党の始祖となった。

その後、横山氏は鎌倉幕府の有力御家人として活躍した。

1212年(建暦3年)の和田合戦横山時兼和田義盛に加担し領地を没収され凋落した。

1214年(建保2年)、同地を与えられた鎌倉幕府政所別当大江広元により、八幡神社内に開祖横山義孝の御霊を鎮めるため横山神社を創建した。

八雲神社の創立

八雲神社は、916年(延喜16年)、華厳菩薩妙行が深沢山(後の八王子城山)に牛頭八王子権現を勧請したとの言い伝えがあり、深沢山に築城した北条氏照は牛頭八王子権現にちなんで城の名を八王子城とし、これが八王子の地名の由来となった。

その後

1590年(天正18年)、八王子城落城後、1598年(慶長3年)、八幡神社と合祀され八幡八雲神社となる。(承応二年(1653年)とも言われる)

交通アクセス

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「八幡八雲神社」の関連用語

八幡八雲神社のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



八幡八雲神社のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの八幡八雲神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS