山車祭りの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 05:41 UTC 版)
山車祭りは江戸時代よりおよそ300年の歴史がある。囃子と共にされる「いーちにーのやぁーい」という掛け声は古くからの伝統となっている。市街地の氏子を中心とし、多賀神社の祭礼を上の祭り、八幡八雲神社の祭礼を下の祭りとして7月と8月に別々に行われてきた。江戸中期から明治中期には人形山車祭り、明治後期以降は彫刻に力を入れた彫刻山車祭りというように時代と共に山車の趣旨が移り変わりつつも、山車祭りとして関東で広く名声があった。 火事(大火)により山車の焼失は度々あったものの、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)の八王子空襲では8台もの山車が焼失している。その後、1966年(昭和41年)の市民祭に初めて山車が参加し、1968年(昭和43年)には上の祭りと下の祭りの山車巡行が統合されて、以来、「八王子まつり」の一部として催されている。なお、空襲で焼失した山車は後に少しずつ再建されていき、現在では計19台の山車がある。 近年ではかつての上の祭り、下の祭りとしての形態の復活が呼びかけられ、山車の巡行および辻合わせを上地区、下地区というように同日程ながら別々に行っている。
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