山車(上ダシ)の巡行
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「額田のダシ行事」の記事における「山車(上ダシ)の巡行」の解説
祭礼は宵宮の日(1日目)宮司によって執り行われる神事で幕を開ける。午後5時半頃から祝詞奏上・お祓い・玉串奉奠などの神事が行われ、午後6時頃から巡行を開始する。巡行中は法被を着用し、道中歌を囃子につけて歌う。東西の町外れまで巡行し、途中、祝儀をいただいた家の前で屋台を止め、2層部を回転させて家の方向に正面を向け謝意を表す。祝儀をもらうことを「カドツケ(門付)」という。 午後11時頃、ミヤイリ(宮入り)が行われる。屋台が神社前に到着すると曳き手たちが屋台の中で鉦すりや太鼓打ちをしていた子どもを連れて参拝する。彼らは競うようにして境内を駆け上がり本殿に参るが、そのとき子どもを抱いたり肩車したりするのが習わしであるという。その間、2基の屋台は2層部を回転させる。これでこの日の巡行は終了する。解散するころは深夜である。 本宮(2日目)は午前8時頃より宵宮と同様、屋台の巡行が行われる。この時稚児たちが屋台の引き綱の先にさらに細い綱をつけ、引いて巡行に参加する。 11時頃、駅正面の広い通りでは、宮本と下町の屋台の間に奥の子ども神輿を迎え入れ競演が行われる。これを「ヒキゾロエ」と呼ぶ。このヒキゾロエは古くから行われているものではなく平成になってから観客から一堂に会した姿をみたいという要望に応えたものである。また屋台巡行の道中でも行われる下町の「祝い餅搗き」もあり賑わう。そのあと宵宮と同様にミヤイリが行われ、屋台の2層部を回転させてから各町へ曳き戻り巡行が終了する。そして午後の本祭神事と御神木巡行に備える。
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山車の巡行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 06:13 UTC 版)
山車は通常、綱で引き手が引くほか、山車本体を押す参加者もいる。方向は先頭にある舵棒で前車輪の向きを変える事で方向転換する。また、下り坂の時は綱を山車の後方に回して引いて減速するほか、後車輪に取り付けられているブレーキ装置で減速や停止を行う。 松寳丸については舵・ブレーキの装置が無く、方向転換は掛け声とともにロープを引いて行い、大きく方向転換する時は山車本体も押し、時に専用のてこ棒も使うなどして動かす。減速は通常、山車の後ろ側に伸ばしたロープを逆方向に引いて行い、山車本体を停止する時は山車本体を後ろに押すほか、てこ棒を車輪に噛ませて止める事もある。 巡行時の出発・停止の合図は進行役が笛(ホイッスルや呼子笛)を吹き鳴らした直後に拍子木を叩く事で行われる。その際、山車の先の舵棒などに取り付けられたスイッチでベルを鳴らして、後方のブレーキ担当にブレーキを解除したりブレーキをかけたりする合図を出すところもある。 巡行の際には、力をこめる掛け声として「エンヤ!エンヤ!」という声がよくかかる。この他、松寳丸では方向転換の際に力を一気にかける合図の掛け声として「ソーレヤッサードッコイショ!エンヤ!」と言ってから一気にロープ・山車本体・てこ棒に力を入れるが、近年では他の山車でも巡行の際、勢いを付ける時や上り坂を上る時の力の入れ始めにこの掛け声を掛ける所も増えている。余談だが、この影響もあって、江差町内の小学校・中学校・高校の運動会や体育祭での綱引きの際に児童・生徒が「エンヤ!エンヤ!」の掛け声を掛けるのが見られる。 本祭の8月11日上町巡行で南浜町の南が丘小学校に至る急坂と檜山神社付近の急坂においては、他の山車の引き手が前後する山車に加わって坂道を上るのを手助けする光景が見られるようになった。 急坂ではお互いの山車の引き手が手伝って上る
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山車の巡行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 00:15 UTC 版)
本町組・北町組・公通組・大門組からそれぞれ1輌ずつ、合計4輌の山車が巡行する。
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