山車からくり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 05:37 UTC 版)
祭礼の際に曳かれる山車・車楽などに、からくり人形を載せたものである。山車の内部に囃子の演奏者と一緒にからくり操作者が乗り込み、曳行時や宮入り時に囃子の演奏に合わせてからくり人形を操作し、披露・奉納する形が一般的である。元和5年(1619年)に名古屋東照宮祭が始まって以来、名古屋を中心とする中京圏に集中的に分布し、主に愛知県と岐阜県に跨って特色ある祭礼文化を形成している。享保15年(1730年)に7代尾張藩主になった徳川宗春は「民と共に世を楽しむ」政策を実行し、8代将軍徳川吉宗の質素倹約策で自粛されていた東照宮祭の豪華に復活させ、他の祭や遊興を盛大に行う事を奨励し、活動の場を失っていた、京都の玉屋庄兵衛をはじめとする、全国のからくり人形師達を名古屋に招いてからくり人形師達が尾張地方に移住した事により、名古屋を中心とする中京圏で、からくり文化が発展し根付いた。名古屋中心部のものは大部分が第二次大戦の戦災で失われたが、岐阜県高山市の高山祭、美濃市の美濃まつり、愛知県犬山市の犬山祭、津島市の尾張津島秋まつり、半田市の亀崎潮干祭など、戦災を免れた山車が周辺地域には多く残っており、現在でも各社氏子の地元住民が、山車に乗り込んでからくり人形を操る姿が見られる。他にも京都祇園祭の蟷螂山が、御所車の上に乗ったカマキリのからくりで有名である。また江戸の山王祭・神田祭においても、山車の人形にからくりを施したものがあったという。
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