山車と山車人形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 06:55 UTC 版)
山車は、先述のように計12の町の囃子連たちによって曳かれる。元来の祭礼町は住江町(新宿。提灯には「宮本」)(墨江町囃子連)、本町(下町)(本町囃子連)、仲町(英町)(仲町囃子連)、上町(福井町)(旭連)、森下町(鶯町、溝端)(森若囃子連)の五町 で、この五町から山車が出た。戦後、これに近隣の町である滝ノ上町(滝ノ上囃子連と千ヶ瀬町の『ち友連』との合同)、大柳町(大柳町共和会囃子連)、天ヶ瀬町(天ヶ瀬町囃子連)、裏宿町(裏宿囃子連)が加わり、更に後には勝沼町(勝沼囃子会)、西分町(西分町囃子連)、日向和田(日向和田囃子連)の山車が加わった。(勝沼町、西分町、日向和田町は住吉神社の氏子町ではない)(山車を曳くようになったのは明治5年頃と言われている) 山車人形は、曳かれる山車の上部に置かれていたもので、1911年(明治44年)に電線が敷設された ため三層の山車を現在のような屋台型に改造し、その後は各町の人形場(祭典事務所)で展示されている。その内、森下町の山車人形・武内宿禰は、嘉永年間製作のものとされ、もと神田三河町四丁目の山車人形であり、神田祭でも曳かれていたという(製作者は花川戸の住人、都梁斉・法橋仲秀英)。本町は神功皇后と武内宿禰が皇子(後の応神天皇)を抱いたもので、三代目原舟月の作。1884年(明治17年)に東京・神田岩本町から山車と共に購入したものである。上町の日本武尊は明治5年に浅草福井町から贈られたものと言われている。神功皇后(住江町)はお歯黒を付け引眉しているが静御前(仲町)は引眉せず歯は白いままである。昭和43年にこれらの5町の山車人形は市の有形民俗文化財に指定された。
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