氏子町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 05:18 UTC 版)
氏子を構成するのは京橋五之部の湊一~三丁目・明石町・入船一~三丁目・新富の8町会、四之部の銀座一~五丁目東・六七丁目東・六七丁目西・八丁目東の8町会、及び新川二丁目越一(えちいち)町会(一部)の計17町会である。 五之部・四之部とは明治初年に実施されていた大区小区制の名残で、現在も中央区では連合町会の単位として機能している。五之部は鉄砲洲と俗称される地域に相当し、湊一丁目及び二丁目町会は祭事には合同で宮元町会を結成する。四之部は銀座の内三十間堀川より東、旧・銀座東の区域で、戦前に木挽町と呼ばれた地域を中心とし、氏子には歌舞伎座や新橋演舞場も含まれる。 新川二丁目は南高橋を渡って対岸の霊岸島にある。主に富岡八幡宮の氏子だが、一部区域が当社の氏子となっている。町会名の 「越一」は旧町名の「越前堀一丁目」を意味する。 氏子組織には崇敬会・敬神婦人会・弥生会がある。弥生会は戦後途絶えていた神輿渡御復活を目的として平成10年(1998年)に設立された。
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