江戸時代の神田祭の山車行列
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「神田祭」の記事における「江戸時代の神田祭の山車行列」の解説
以下は江戸時代の神幸祭の行列に付き添った山車の一覧で、内容は文久元年(1861年)の時のもの。当時もこれら山車のほかに付祭と称して様々な出し物があった。町名の後の括弧内はその町域に相当する現在地名。なお以下に見られる町の中には、大伝馬町や南伝馬町のように山王権現(現日枝神社)の氏子として、山王祭にも山車を出していた町があるが、当時の江戸ではひとつの町がいくつかの神社の氏子町になっていることがあった。江戸祭礼氏子町一覧を参照。 一番 諌鼓鶏の吹貫の山車 : 大伝馬町(日本橋大伝馬町一〜二丁目及び六丁目、日本橋本町二〜三丁目、日本橋堀留町一丁目) 二番 幣猿の吹貫の山車 : 南伝馬町(京橋一〜三丁目) 三番 翁の能人形の山車 : 旅籠町一丁目(外神田三丁目) 四番 和布刈龍神の山車 : 旅籠町二丁目(外神田一丁目) 五番 蓬莱に亀の山車 : 鍋町(鍛冶町三丁目) 六番 花籠に牡丹の山車 : 通新石町(神田須田町一丁目) 七番 岩組に牡丹の山車 : 須田町一丁目(神田須田町一丁目) 八番 関羽の山車 : 須田町二丁目(神田須田町二丁目) 九番 岩組に牡丹の山車 : 連雀町(神田須田町一丁目) 十番 月に薄の山車 : 三河町一丁目(内神田一丁目) (神輿2基の行列) 十一番 武蔵野の山車・坂田金時の山車 : 豊島町(東神田一〜二丁目)・湯島町(外神田二丁目、湯島一丁目、本郷三丁目)・金沢町(外神田三丁目) 十二番 岩組に牡丹の山車 : 岩井町(岩本町三丁目) 十三番 二見が浦日の出の山車 : 橋本町一丁目(東神田一丁目) 十四番 乙姫の山車 : 橋本町二丁目(東神田一丁目) 十五番 龍宮門の山車 : 佐久間町一〜二丁目(神田佐久間町一〜二丁目) 十六番 岩組に牡丹の山車 : 佐久間町三〜四丁目(神田佐久間町三〜四丁目)・富松町(東神田二丁目) 十七番 蓬莱の山車 : 久右衛門町一〜二丁目(東神田一丁目、岩本町二丁目) 十八番 石台に稲穂の山車 : 多町一丁目(神田多町二丁目) 十九番 鐘馗の山車 : 多町二丁目(神田多町二丁目) 二十番 龍神の山車 : 永富町(内神田二〜三丁目) 二十一番 棟上人形の山車 : 堅大工町(内神田三丁目) 二十二番 松に杯の山車 : 蝋燭町(内神田一丁目、神田司町二丁目)・関口町(神田司町二丁目) 二十三番 大黒人形の山車 : 神田明神西町(外神田二丁目) 二十四番 武蔵野の山車 : 新銀町(神田司町二丁目、内神田二丁目) 二十五番 戸隠明神の山車 : 新石町(内神田三丁目) 二十六番 弁天の山車 : 新革屋町(内神田二丁目、鍛冶町一丁目) 二十七番 小鍛冶の山車 : 神田鍛冶町(神田鍛冶町二〜三丁目) 二十八番 岩に牡丹の山車 : 元乗物町(鍛冶町一丁目、神田北乗物町) 二十九番 武蔵野の山車 : 横大工町(内神田三丁目、神田多町二丁目) 三十番 白雉子の山車 : 雉子町(神田司町二丁目) 三十一番 武内宿禰の山車 : 三河町四丁目(神田司町二丁目) 三十二番 武蔵野の山車 : 明神下御台所(外神田二丁目) 三十三番 汐汲の山車 : 皆川町二〜三丁目(内神田二丁目) 三十四番 猩々の能人形の山車 : 神田塗師町(鍛冶町二丁目) 三十五番 恵比寿の山車 : 白壁町(鍛冶町二丁目) 三十六番 源頼義の山車 : 松田町(鍛冶町二丁目) 上にあげた順番では十番と十一番のあいだに、神輿の行列が入っている。当時の祭礼の行列は山王祭でも見られるように、まず大榊が先頭、次に氏子町からの山車練り物、そして神輿という編成が普通であったが、これは天明3年(1783年)、神田明神の神主の要請でこのようになったものである。当時各町の山車練り物は夕刻になると道の途中で解散し、神輿はそのまま各氏子町を渡御したが、神輿の行列が最後にあると前方にある各町の山車が道を空けるのに時間がかかり、その結果神輿の帰社が深夜になってしまうという理由からであった。
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